政治腐敗と紛争、貧困の負の連鎖から脱出し成長を続ける地域がアフリカにもある。南ア、ナイジェリア
ガーナ、モザンビークなど アフリカは人口が多いだけに、人口の過半数は貧困層であるが 中間層だけ で3億を超えるターゲットは最後の成長大陸として各国が触手しているのもうなずける。南アフリカに限らず
アフリカ全体に中国が資源外交を行っているし、武器輸出なども狙っているという。富裕層の拡大に合わせ
スマートフォンの普及をはじめ 、トヨタの車、中国製の中古品に至るまで品数は以前と比較すれば格段に増えている。南アフリカのスーパーも国内に限らず周辺国に出店攻勢をかけている。携帯電話は食べ物
についで民衆憧れの商品で、治安が安定しているところでは、この他商品数をどんどん増えているようだ。
そしてどこの国にも見られるように地方から都会へといった流れは同じである。ケープタウンの夜景など 先進国の都会となんら変わりなく、また日中の交通ラッシュも渋滞が付き物となっている。
資源開発が牽引役として果たした役割は大きいが、現在はその域にとどまらず電力や水にも関心ている。
高血圧のため、医者からすすめられ自動車通勤から自転車通勤に切り替えたところ腰痛、肩こりが治った事がきっかけで、それならと「地球と話す会」に入会、シルクロードを自転車で挑戦することになった。
西安〜ローマを23回で走ろうという途方もない計画。参加者は年齢29歳〜72才、概ね1回の工程は400〜700km(1日80〜100km)を毎日走ろうというもの。最初はなにさんかした。も考えなくて参加した。ことばの勉強、予防注射、荷物の点検から始まった。
一番大変だったのは「長期休暇」をとるのが大変だったこと。もちろんすべて参加したわけではなかった。
参加したときは、それぞれの土地で様々な人々と出会い、いろんな発見があったのが励みだった。
第7次ツアー・中国のカシュガルからキルギスのビシュケクの工程では国境が大雨、紛争、政治的な決断で通れず飛行機で越境せざるを得なかったこともあるし、どこにもトイレがなく困ったことや、イランでは断食月に遭遇し前もって食料を買わざるを得なかった事、その際鍋が必要だったが、これは「重さで測るのですよ」と言われびっくりしたこともあった。
19次ツアーではセルビアのベルグラード〜クロアチアのザグレブまで700qの工程石畳の道,教会、モスクなど東ヨーロッパの風景,各家の煙突の先端にコウノトリの巣があり、その光景は忘れられない...一方のボスニアでは銃弾の跡が生々しく残っていた。酷暑、食事、水、トイレ問題 毎日が必ずしも穏やかだとはかぎらない。上り坂、下り坂 お天気もそれぞれ違うし、実際毎日の走行なので結構きつく「メタボ解消に向いている」という隊員の声も本当だと思った。私、今では体調も良く自転車の旅をみんなにぜひ勧めたいと思っている。(山田悦子)
ナマステ。 インド5000年の歴史は多様な文化を築いてきた。面積は世界7位。人口は世界2位の12億人。認められている言語だけで18、宗教は80%の人がヒンドォ教を信奉している。ヒンドォ教は牛を神様と崇めサリーを着る。もとよりインドは多様な民族・言語・宗教によって構成されている。
1947年英国より独立したが建国に貢献したガンジー氏が今も国民に崇められている。教育面では識字率70%なるも、インド式数学と英語 これに重点を置いており、インドの知的水準を高めている。
家族関係では長男が親の面倒を見る、父親が権限を持つという昔の日本の家族主義と同じ。インドには老人ホームもない。
発展途上国と言われているインド、現在はインフラ面での都市環境の整備が必要であるが、広大な土地、人口、知的水準の高さは、近い将来経済大国になる可能性を秘めている。今後、日本がインドと更なる交流を深めることが相互の国益に繋がることになる。
スリランカ南部の聖山スリーパータの項に大きな足跡が刻まれた岩が岩がある。この岩が信仰の対象である一方多文化社会をも教えてくれる。仏教徒(シンハラ人)は仏陀の足跡として、ヒンドウー教徒はシヴァの足跡として双方の聖地となっている。双方の対立のもとに分離独立の抗争に国民が頭を痛めている。
標高2000mを超える山の上は涼しくセイロンテイの名で有名なお茶の栽培が有名である。
涙のしずくと言われるスリランカ、海岸線はとてもきれいで、ゴールデンビーチはサンゴの名所、国土の1割は自然国立公園だという。識字率91%なるも大学への進学率1割、学費は無料、病院の治療も無料、、要は貧富の差が多いことを意味する。車のぜいきんは高いので調整もしているが一般的にはバスが移動手段の一つとなっている。(ファイク モハメッド)
中国
ロシアの新年
エストニアはバルト3国の最も北に位置し、今まで外国から支配され続け ソ連崩壊でやっと独立出来た。九州と同じくらいの面積135万人が暮らすエストニアは半分を森と沼に囲まれている。ドイツ時代の歴史建造物が残るタリンのまちは観光に力を入れており、次いで農業国(リンゴとポテトはどこに行っても見る事ができる)である。このほか産業としてはIT産業・情報学が盛んなことでも知られている。サウナも有名で多くの人は土曜・日曜日サウナに行く人も多い。
宗教はほかの国と違って無宗教のひとが目立つ。また、生活面ではライフパートナーということで一緒に生活をし、子供ができたら結婚する場合も多く日本にないパートナーシップの法律もある。私の専門は情報工学・メデイアアートですが本国ではこういった分野でも女の先生が多いのが日本とは違う。私が日本に来たきっかけはアニメが好きな友人の話に興味を持ったわけで日本に来てよかったと思っている。日本に来るまでは「芸者と忍者」しか知らなかったが、もっといろんな場所にも行ってみたい。広島や大阪のお好み焼きも食べてみたい。(カドリ・レバネ)
お父さんは屋根、お母さんは家の柱
チベット
シルクロード
(西安〜ローマ)
異文化交流に最適なクルーズ
ネパール、北は中国、南はインドと国境を接する。標高60m〜8000m級の山々まで亜寒帯から亜熱帯までの起伏にとんだ国、多民族国家でヒンズー教と仏教文化に根差した生活様式は多岐に亘り数々の宗教様式も加わって興味深い国です。
夏に限らずお祭りがそこかしこで繰り広げられるネパール、インドの影響がが色濃いだけにインドに乗っ取られまいとの意識も強い。インドと同様カースト制があり屠殺やゴミの処理など誰でも出来るわけではない。マオイストと呼ばれる反政府組織と国王派の間に内紛が勃発・内乱があったが、今は一応の和平交渉が進み一定の安定を取り戻している。時間はゆったり進み日本のようにがさがさしていない。
私たちはヒマラヤ保全協会の一員として森林保全ということで樹々を植える作業をやってきたが人々は純粋そのものである。教育さえしっかりすればまだまだ伸びると感じた。義務教育は中学校めで、教育が十分に浸透しているとは思えない。結婚は18歳から可能だが遅いより早い方がいいという風潮もあったが、最近は晩婚化傾向となってきており見合い結婚より恋愛結婚が増えて来ている。結婚に限らず文明国がたどった道をネパールも追い求めているといえよう。 (田中めぐみ)
スリランカ社会が抱えている問題はタミル人(18%)とシンハラ人(73%)の対立である。多数を占めるシンハラ人は仏教徒、タミル人はヒンズー教徒、過去には抗争もあった。
私は「魂にふれるアジア」を読んで刺激を受け「シギリアレデイ・インターナショナル」という会社を作り、紅茶を直輸入
知人などに買ってもらい利益の一部を同国のために役に立てたいと始めた。どのようにして始めたか。
現地NGOの協力のもと歯みがきの指導から始まり茶園の女性への識字教育、縫製教育、幼稚園の建設・改修運営
様々な助成金を活用しながら徐々に活動を広げてやってきた。ネットワークを主体的に動かす機会を得たわけだが、最初は大変だった。満月の日には白いサリーを着てろうそくを持ってお寺に参るといったスリランカは仏教国でもありほほえみの国、仕事を通して多くの友達も出来た。(松下 立子)
イギリス流のユーモアとは、アメリカのユーモアがイエス、ノーをはっきりさせた表現をするのに対して人を笑わせたりイエスでもノーでもない、自分自身がどう考えているかをユーモアという言葉で表現しているのである。そこにはインテリゼンスが必要になる。説明は難しいがイギリス人なら解るはず。例えばイギリスの天気は曇天が多く決して良くない。これがユーモアである。料理にしても「まずい」は一般的な評価だが、「イギリスの家庭料理は決してまずくない。うん、世界で一番うまいんじゃない」と主張する。これもユーモアだ。
多少皮肉っぽいとの指摘もあるが、こういった会話をイギリス人は休暇になると決して都会に行こうとはしない。田舎で自然に浸りながらゆっくり過ごすのが大好きな国民である。「生活をエンジョイするのが一番」との考えからユーモアが生まれるのかもしれない。
日本に来て20年、日本語がまるっきりわからないわけでもないが、日本語を積極的に話したくないという気持ち、これも1つのこだわりかもしれない。イングリッシュテイにレモンを入れない、ミルクと相場が決まっている、これも同じ考えかな。
現在イングリッシュガーデンの仕事をしているが、日本人のようにせっかちに結果を要求することには抵抗がある。「だんだんと…」目標に向かって何年も何十年もかけて作り上げていく。それが理想である。日本人は「花を一年中咲かせてくれ」と注文を出してくる。それは無理だよ。自然に忠実であれと言いたい。ガーデニングで大切なのは背景などをよく吟味して頭を使って何年か後を想定して設計するのがいい。そう思いませんか。(スチュアート アクステル)
7か国に囲まれた内陸国。北部や南西部に平野もあるが多くは砂漠地帯、国内を流れる川はいずれも砂漠の中に消える内陸川、東流するカブール川のみがインダス川に合流海につながる。国土の大半は乾燥地帯、真水入手場所は限られている。昔よりシルクロードの中間点「東西文明の十字路」として発展してきたが、多様な民族からなり互いが主導権を競い内戦が続いてきた。その後ソ連軍の侵攻・撤退、アメリカ軍の空爆などでインフラが壊滅状態となっていました。
そんなアフガニスタンの地にBHNテレコム支援協議会の支援活動の一環として現地に2年間駐在し支援活動を行ってきたのですが、これは趣味であるアマチュア無線の技術を生かすことが出来るということで飛び込んだものです。復興と自立を担う現地NGOや僻地医療機関への無線網構築事業を完成させたわけです。アフガニスタンでは一般人にとって高価な携帯衛星電話以外はなく海外支援の後方支援を通して国際協力に貢献したとして42回世界情報社会電気通信日の集いで総務大臣賞を受賞しました。近年中国が光回線を設置し携帯電話も普及してきたがまだまだI
CT後進国であり道路や電気等インフラは十分ではありません。ただ、街を歩くと物資はひところより豊富になってきており人々のたくましさを感じることもあります。街の様子は「世界の表情」をご覧ください。
(中西洋夫)
人力車走るイスラムの国
主要産業は農業、旧ソ連時代に強制的に進められた綿花栽培が今も盛ん。地下資源も豊富と言われている。青いモスクやアラベスク様式の装飾などイスラム世界の中世の街並みを伝えるサマルカンドやブハラは世界遺産に登録され中央アジアを代表する観光地になっている。
彼らの生活習慣の一部を紹介しよう。 朝起きてから顔を洗う前に挨拶をしてはいけない。顔を洗ってからにしなさいと言われる。主食はパン、毎食必ずパンが出てくる。また、お茶(緑茶・紅茶)を飲む習慣がある。パーテイなどで人が集まるとき、男と女は別々に食事するのが一般的。お客さんを招くのは大好きな国民で誰がいつ来ても受け入れ可能である。
12月31日はサンタクロースが白雪姫と一緒に来る日、パーテイで過ごします。翌1月1日はみんな寝てい誰も起きてこない。その正月にはお互いがプレゼントを送る習慣もある。また、10月1日は教師の日、3月8日は女性の日、3月21日サルブス(春を迎える日)これらの日は大切だと思っている日。10月1日は学生は先生に花束を持っていく、成績をよくしてもらおうと賄賂を贈るのも当たり前の世界である。写真撮影禁止の場所、それは地下鉄の構内やテレビ塔の中でというが、ソ連時代の取り扱い規定が残っているのだという。(田原 由貴)
国内で9時間もの時差があるロシア、その国土は東西に広く、ヨーロッパからアジアの果て、極寒のシベリアまで有する。
民族衣装も多彩で、「セロフャン」と言われるワンピース姿の女性服が一般的。この服はカチュウシャを歌う女性を思い出してもらえれば理解が早い。既婚者と未婚者とでは服装や髪形に違いがある。12月31日の大晦日には願い事を紙に書き、それをライターの火で焼き、それをシャンパングラスに入れ、乾杯する。それを1分以内で出来れば願い事が成就するという言い伝えがある。
新年の料理で必ず作られるのがオリヴィエ、日本のおせち料理のようなものかもしれません。
寒くて長い冬の間、謝肉祭・復活祭などのお祭りが華やかに繰り広げられ、人々は長い長い冬、厳しい寒さの冬が終わり、訪れる温かい春を待ち望むことになる。
新年を祝う正月、そして厳しい冬の過ごし方など万国共通の事のようです。(チホミロヴァ)
ネパール インドを意識したヒマラヤの国
ロシア 日本の宇宙開発
チベット、国ではなく文化圏である。多くは中国の一部に編入された他、ブータン、ネパール、インドなどにもチベットは広がる。彼らの多くは
ヒマラヤ山系など高度山岳地域に住んでおり、半農半牧、経済的に厳しい生活を余儀なくされてきた。お父さんが2人とかお母さんが2人
といったヶースも考えられ、いわゆる大家族が原則の世界である。子供の数も多い。「お父さんは屋根、お母さんは家の柱」という言葉もあるように
財布を持っているのはお父さんだが、他方お母さんがしっかりしないと家がつぶれてしまう…ともいう。そこで教育に夢を託しており、子供にお坊さん修行をさせたいという親も多い。
「すべてのものは永遠には続かない」「生き物を殺してはいけない」彼らは輪廻転生を信じており、お祈りすれば力が倍になるという。また、人が
死んだときそれは「自然に身を沈める」という意味であり火葬、水葬、土葬などの他、高僧などに対しては鳥葬といったやり方もあるという。
木が少ないので火葬は少ないともいう。
当日はチベット特産の「モモ」という餃子、バター茶などおいしくいただき、歌姫の音楽を聴き、楽しいひと時を過ごした。
(藤田)
バルト三国の優等生
エストニア
費用や行動に関する質問に対して、 宿泊費は1泊600〜800円で可能であるが私は2000円を目途に泊まった。
食事は1食だいたい300円、交通費は国によって違ったが1日長距離バスに乗って4000円から8000円
入場券など1か月10万円、旅行保険10万、往復航空券25万円、しめて半年180万円だった。この間怖いこともあ
ったが、命にかかわるようなことはなかった。もめたことと言えばタクシーに乗るとき約束した金額、降りる時それ以上請求さ
れた時だ。メキシコやホンジュラスでの流しのタクシーは特に要注意だということが分かった。
中南米を旅行先に選んだのは未知の国、まだいった事がないというのも理由の一つだった。半年という長時間だったので
日本にいると同じような生活リズムになるよう、例えば1週間外に出ないような日を設け、その日は洗濯したり和む時間を作った
のが良かったと思っている。また、極力地元の人たちと交流をおこなった。どこに行ったらいいか、どこに泊まったらいいかなど、
地元の評判を聞くことも非常に役に立った。(東苑 泰子)
大地、大自然は私たちの母
バングラデシュはイスラムの国、インドから独立した際、パキスタンに帰属したが、その後西パキスタンのウルドウー語を公用語にするということになり独立運動がおこり、ベンガル人といういう民族性を拠り所に71年似独立した。
バングラデシュはインド洋に面し、デルタ地帯を形成しており雨季には国土の大部分が水没するという世界で最も自然災害の影響を受けている。川の氾濫に悩まされながらも豊富な水と肥沃な土壌に恵まれ世界有数の人口密度の国である。人口1億5千万、貧しさと戦いながらも、新しい試み貧困層への融資を行っているグラミン銀行の例などあり世界の注目を集めている。
町の中を面白い乗り物が走っている。それは人力車である。歩いて5分であっても利用する。それは日本円で10円も出せば乗れるからだ。お金と言えば大学卒業後の平均給与は約3万円で決して高い金額ではない。近年8年までは義務教育となった。識字率50%である。産業では近年I
Tが盛んになってきたが、まだまだ軽工業が中心である。バングラで有名なのは長い海岸線であるが、あまり知られていない。その海岸線の中に絶滅寸前のベンガルタイガーが住んでいる。
私の夢は日本でキャリアーを積んで帰国後大学の先生になるか、もしくは自分の会社を作りたいと考えている。(マハフェジュス サラム)
いにしえのシルクロードの面影を残すウズベキスタンにJ I CA海外青年協力隊のメンバーとして、ブハラの学校に音楽教師として赴任した。最初はウズベク語が解らず苦労したが音楽は共通語、だんだん子供もわかってくれるようになった。生徒は素朴で元気そのもの、すぐ反応してくれ対応は大変だったが、生徒から慕われ相手にできたという事はラッキーというほかなかった。現地は小さい時から民族舞踊など盛んで、これは大変だと思っていたが予想に反してピアノや楽器など十分にそろっていなくて自分の思い通りの授業もやることが出来た。帰国する前に折角なので演奏会もやって帰ってきた。
ウズベキスタン、ブハラの気温夏平均40℃、冬−30℃にも慣れ、またウズベキスタンの料理、プロフ、ノン(ナン)、ラグモン(麺入リスープ)羊肉などポピュラーな食事も堪能してきた。ウズベクは2重内陸国ゆえ魚ではなく
断然肉料理であった。メロンやアンズなど甘くて安く果物は豊富に食べることが出来た。
また機会があったらもう一度ウズベキスタンに行ってみたい。(雨宮恵美)
遊牧民の生活と都会の生活
ウズベキスタン
詩と歌なしで人は生きられない
「食べる」韓国…辛い唐辛子・舌にカー・興奮・カッカ・くしゃみエイチ・ストレート 突出し頼まなくても出てくる
日本…辛いわさび・鼻にツン・鎮静・物静か・くしゃみハクション・ア・ウンの呼吸 頼まないと出てこない
「住む」 韓国…冬気温寒いがオンドルで暖かい 家賃毎月 夏冷たいシャワー 海に行く
日本…冬隙間風 マンションは暖かい 家賃の他補償金制度 夏暖かいシャワー 温泉に行く
「着る」 韓国…鮮やかなチマチョゴリ 結婚式韓服 くつろぎ着貸してくれる
日本…素敵な着物 結婚式羽織袴 くつろぎ貸してくれない
「礼儀1」韓国…1回きりのぺこ お酒「目上の人に対して横を向いて飲む」 本音と建て前ストレート 言葉「負けるな」
日本…ぺこぺこ お酒「そんなの関係ない」 本音と建て前使い分ける 言葉「勝たせて」
「礼儀2」韓国…子供1歳のお祝い(糸、ノート、お金、鉛筆の中から何を選ぶ 将来の仕事を選ぶ
日本…七五三のお祝い(男三,五歳、女三,七歳 氏神に参詣する。千歳飴を持って) (具 亨謨)
呉の国 無錫というところ
パレスチナはイスラエルの中にあってヨルダン川西岸地区とガザ地区に飛び地のなかで生活している。
パレスチナ人と言われる人は世界中に1000万人を超えると言われているが、その多くの人はヨルダン、はじめ近隣の国に散らばって生きている。 いわゆる難民として生活しているというわけである。
パレスチナの中を移動する際もイスラエルが作った検問所をいくつも超えていかなければならないし、コンクリーの壁もはりめぐらせている。こういった現実を乗り越えて住民はたくましく生きている。以前自分が住んでいた地域を離れなければならなかった人を難民というが、多くの難民を抱えて生活しているいるのも事実。
今回は、そのパレスチナの地でJICAの活動として母子手帳を作成・普及をしてきたが、どのように実施してきたかをのべていきたい。
活動を始めて2年、ヨルダン川西岸におけるラマラやエリコでのパイロット事業が住民に受け入れられ、当初の計画通り進めることが出来た。ただ、ガザ地区には日本人が入れないのでその実態はつかめないもののテレビ会議も可能なので現地の人に普及をお願いしてきた。国際交流さろんの当日パレスチナの留学生アブドルラーマンさんも出席「今日本で勉強しているが、将来は日本で学んだことを本国でいかしたい」と抱負を語っていたが頼もしい限りだ。(山崎健二)
台湾は日本人には馴染みの隣国だ。1890年金鉱の発見でゴールドラッシュに湧いた九?始め古い町並みが数多く残っている台湾に魅せられてこの運動に参加してきた。戦前の日本統治時代そのままの建物や街並みが当時のそのままに残っているのを後世の人たちに残してあげたいとの思いもありこの運動を続けている。これら町並みは歴史的、建築学的な意味での遺産である。
台湾は親日な国で、毎年多数の人達が両国を行き来して、観光に、商業にと交流が盛んである。
お国の自慢料理の紹介では電通大留学生の沈宣郡さん、薜冰さん、陳怡宏さんの3人が担当してくれた。葱花卵、香茹鶏湯などメンバーのみんなと作って食べた。手馴れた料理裁きで調理方法を女性会員に教えていた。台湾料理の味付けはどちらかというと薄味で私たち日本人にも馴染める料理で美味しく食べることができた。
奴隷海岸とブードォー教
中国
カナダ 資源豊かな多文化社会
厳しい生活も家族で助け合って
フレンドリーな人間関係
都市の生活と遊牧民の生活
日本人は働き者
冬は楽しい、でも春が待ち遠しい
ベチナム戦争時代、アメリカ政府はベトナム共産ゲリラがカンボジアのジャングルを聖域にしているとして ゲリラ追い出しをカンボジアに迫ったが、中立をを掲げていたシアヌーク殿下は非同盟・中立を掲げて応じなかった。そのうちシアヌーク殿下はクメールルージュと手を結び反米闘争を展開することとなった。
アメリカ・南ベトナム連合軍との戦争となり、これの取材のため各国メデイアはカンボジアに、我々共同通信の者も同様に入国した。クメール・ルージュとはどんな人なのか解らぬままベトナム戦争取材のベテラン達は予備知識も予備準備もないまま取材に入った。ベトナム戦争とは違い戦争をする双方とも不慣れで前線がどこかもつかめない戦争となった
ため多くのジャーナリストが犠牲となったのは当然の成り行き。私の部下も2人を失うこととなった。その1人の取材お膳立てをしてくれたカンボジア人記者が後にカンボジアの将来を考え子供たちの教育支援を始めた。
我々も1993年カンボジア教育支援基金を発足させると同時に彼の郷里を手始めに学校建設に取り掛かった。次々と学校を作っていったが5校目は生活支援をも組み込んだモデル校を建設した。今では支援活動の柱として教科書支援を行っており学習者が一生懸命勉強してくれ学力が向上しているのでとても満足している。 まだまだカンボジアには学校がいくらあっても足りない状態であり活動は今後も続けたいと思っている。(金子 敦郎))
家族の楽しみを大事にするメキシコ社会
co15
今も残るペルシャの生活
厳しい生活環境の中で
パキスタン
イスラム教の六信五行
ギニア湾岸9カ国、通称西アフリカと言われている。ナイジェリア、ベナン、コートジボアール、ブルキナファソ、リベリア、シエラレオネ、ギニアに至る国々である。いずれの国々に入国するにもビザが必要でその代金は70〜80$だという。また、黄熱病対策のイエローカードがないとほとんど入国出来ないという。
1昨年あたりまで猛威を振るっていた「エボラ熱」は集結しており心配はん無用だった。 いずこの国でも人々の暮らしは貧しくて、外国人に食べ物、お金をおねだりするというのは共通のことのようだ。
アフリカの人々は戦争、貧困、病気の世界の中で、想像を超える生存環境の中で将来への希望をもってをもって一生懸命生きていこうとする姿には感動さえ覚える。
西アフリカのキーワードは奴隷売却奴隷貿易で栄えたダホメ王国、象牙海岸と世界遺産の要塞、金鉱と黄金海岸、フランスの植民地、サハラの南、物神崇拝の呪術とブードー教、芸術大国であり犯罪大国であるナイジェリア等々様々な顔を持つ。(東苑 泰子)
西アフリカ
バックパッカーで6か月
中南米
仏教国ラオス、かつてはインドシナの戦火に巻き込まれ 今なお海外の経済援助に頼っているが、そこで暮らす人々の心は常に豊かで微笑みを絶やさないラオス。ご飯を食べる際には「年配の人と一緒に食べよう」と誘うのがふつうだし、「子供は両親の面倒をみる」「年配の方が通るときには顔の位置を決して上げないし、女性は長い巻きスカートを穿く」など配慮するといったお国柄。お葬式の礼儀として「誘ってはいけないし、帰る時挨拶してもいけない。」 山や河のみならず人々の心が豊かな国である。
メコン河を国境にインドシナ半島の一角、基本的には農業国で自給自足。貧しくても生活や食べ物には困っていない。首都ビエンチャンが政治の中心であるなら古都ルアンパバーンは多くのお寺が残る落ち着いた街である。お正月の水かけ祭り、釈迦誕生のロケット祭り、団体対抗のボート祭り、全国の僧侶が集まり読経するタートルアンまつりにぜひ来てください。(ティッキー)
ハプスブルグ帝国、640年続いた拠点がオーストリアの首都ウイーン。その当時の遺産(文化や芸術など)が今も数多く残っている。音楽の都(ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、マーラー、ヨハンシュトラウスなど)であるだけでなく医学、哲学、そして多彩な料理やワインに至るまで幅広い。ウインナーコーヒーなども有名であるが日本のようにクリームを入れるのでなく、とにかく甘い。メランジェ、フランツィスカーナー、アインシュペーナーなど多くの種類がある。
私はウイーン大学の4年生、親から仕送りしてもらい下宿生活ですが家賃月500ユーロ、電気・ガスなど200ユーロの生活、妹と一緒に生活している。日本文化や日本語に興味を持ちウイーン大学の藤田先生の計らいで今回憧れの日本に老人介護の研修ということで「いなぎ苑」に研修に来ている。日本の老人と向き合い、みんな親切でいい勉強をさせてもらっている。日本食はおいしいし、ホームステイ先でも良くしてもらっている。(ヘルマン・ミヒヤエラ)
ウイーンでは介護老人ホームは90%の人が外国人、在宅介護人の多くが近隣外国人スロバキアやポーランドなど出稼ぎ者が多く日本とはずいぶん違うと感じた。老人介護制度、公共の老人ホーム、オーストリアでは誰でも入れる。ただ満員の場合は必要度の大きい人から入居が決まる。介護金は保険からではなく国から支給される。定年は男65才 女性60才となっているか今後段階的に引き上げられることになっている。2030年には1/3の国民が60才以上になるといわれており高齢化社会がやってくる。(藤田俊之)
ハプスブルグ家から今も続く芸術の都
オーストリア
癒しを感じる穏やかな仏教国
ラオス
援助対象国から投資先国?
中央アメリカ、メキシコのユカタン半島からグアテマラにかけては、紀元前からマヤの世界であった。
「私たちはトウモロコシの人間だ」というだけあってとうもろこしは日本人にとっての米のようにとても大切である。「大地、大自然は私たちの母である」と考え、自然と調和する精神性を持つ。そこにはアミニズム的に多くの神が存在し、年長者はその経験の豊かさゆえに尊敬されている。
かつて天文学や数学などに傑出した古代マヤ文明が栄えたこの国には、多くの古代遺跡が点在し、現在もカラフルな伝統的民族衣装に身を包んで生活を続けている先住民も多い。
まや社会はスペイン軍に征服されて以来、わずかな一時期民主政権になったこともあるが、アメリカの介入などで軍事政権が続き、36年にわたる内戦の後遺症は今も残っている。また6家族が国を支配していると言われるほど貧富の差は大きい。私たち(アシリアと貴)は学校を作り、教育を普及させて、少しづつ地域興しをしたいと考えている。
町並保存と活用
自転車で、20年 17000km
ヒマラヤ、カラコルム山脈に囲まれたラダック地方はインド、ジャム・カシミール州に属しインド最大の領域を誇る高嶺の地。5〜6000m級の峰々がインダスの源なす雪渓を頂いて連なっている。11世紀より西チベット・グゲ王朝の支配下となりチベット仏教文化圏を形成してきた。小チベットと言われる所以である。 しかしインド最大の軍事基地として中国・パキスタンとの国境紛争のため長く閉ざされてきた。
一木一草すら生えない月世界を思わせる流砂の丘、波打つ地層と巨岩による大自然のパノラマに神秘と威厳すら感じさせられる。年間降雨量100ミリという乾燥地帯である。
ラダックの各寺で行われる祭礼には仮面舞踏が催される。次々に登場する化身と護法尊の舞いには さながら立体的に動く曼荼羅絵巻である。(藤田 佑二)
ラダックのツェチュ祭
南米最大の面積を有し、BRICSの一角。中心を流れるアマゾン川、世界2位の長さ、すべて熱帯雨林とのイメージもあるが、年間の気温は22度から26度とほとんど年間の気温の差がないところである。そこに多くの動植物が存在する。その全貌はまだ明らかになっていない。不治の病の特効薬となるせいぶんやヒントが多く隠されているという。「サロンパス」や「キニーネ」などもここで発見されたという。
動植物だけでなく、ブラジルは鉱物資源が豊か、金やダイヤモンドの開発に世界中から人が集まった。このブームが終わったらコーヒー栽培と切り替わった。場所によってはトウモロコシ、マンジョウカなど栽培しているところがある。現在80年代のインフレを克服し「レアルプラン」改革等により経済も安定し成長を続けている。
また、サッカー大国であり次のワールドカップ開催国である。最近の観光地として雨季だけにみられる世界一広い白い砂漠レンソイスに人気が集まっている。(藤田 佑二)
面積、日本の4/5、人口約6000万人、ご存じ長口のような南北に長い国である。ほとんどの人はキリスト教・カソリックである。地中海と溢れる陽光に満ちた国であるが、イメージよりずっと北仁位置する。ローマの緯度は函館と同じ、ベネチアは稚内より北である。ファッション、グルメ、車、小物、ブランド品、サッカー、海外旅行も人気、遊び好きであって、どちらかというと個性の強い国民である。文化も日本のように画一でなく地方・地方によって全く違っているのが特徴。半島中央にアペニン山脈があるがこの山脈を境に文化は全く違うので面白い。
もちろん仕事優先ではない。と言ったら怠け者に聞こえるかもしれないが、そうでもない。男も女も掃除・料理みんなやるのが常識である。
歴史を紐解くとローマ時代として一世を風靡したこともありそこらじゅうに世界遺産があり数の上でも世界一を誇る。50を誇る。太陽の国イタリアではあるが、南北問題やテロなど問題も抱えている。けいざいの発展は北部中心、万部は取り残されているという問題も抱えている。シチリアを中心に悪名高いマフィアも存在している。また、ナポリタンやマカロニなどイタリア料理も有名で、地方によって味はみんな違うというから面白い。
混声合唱団サリーレの小柳さん、西洋音楽の歴史の始めであるドイツで勉強し、百年以上の歴史がある合唱団とワインづくりで有名な村と親交があったことからサリーレの活動目標を「この村で、合唱を通じて国際交流する事になりました。練習では必ずドイツ語でベートーベンの「第九(喜びの歌)を歌い、民謡やジブリ音楽など様々なジャンルの合唱に取り組んできたが機熟したとしてドイツ国際交流の旅を決行した。訪れたのはドイツのラインスヴァイラー村。ドイツの大統領から文化功労章が贈られた団員が2人もいるという合唱団と合同コンサートが企画されていました。村の1/3の人が集まったと思われる観客の前で「さくら」や「四季の歌」など日本の代表曲を歌った。ドイツにはない音階の日本の歌に、会場からは割れんばかりの拍手。そして村の合唱団との「野ばら」の合唱団には観客も加わり大合唱。最後に、感謝の気持ちも込めて村長さんなどお世話になった人に「稲城の梨ワイン」をプレゼントしました。(小柳才治)
コペンハーゲンを出航、北上、再度コペンハーゲンに戻る、1週間のクルーズ。総勢3500人が寝起きし、さまざまな言語が交錯する正にミニチュア世界がそこにあった。
13デッキのビュッフェでコーヒーを飲んでいると、二の腕に刺青をした中年の男性が隣に座った。彼によれば、イタリアではサッカーの選手が入墨意を愛好するし、普通の人も気軽に刺青を入れるという。全国には数百、刺青の店があるというから、もう文化といっていい。
ここではバイキング形式で食事もとれる。丸顔で、恰好のいい女性とスリムな娘さんらしい二人が、僕の前に席を取った。突然、彼女はボールペンを取り出し紙きれに「HAIKU」と書いた。彼女によれば、昨年EU大統領になったヘルマンという人はオランダ語で、「HAIKU」を作るのが有名で、句集を出すほどの凝りようとか やはり俳句も、寿司などと同様、今や世界に広がった日本文化の1つらしい。(高野 正夫)
教師の日、花のプレゼント
タイと聞いて何を想像しますか? タイ料理、タイシルク、優雅な古典舞踊、象の国、蘭の花、水上マーケットいろいろ指摘もあろう、いずれも間違いではない。タイは仏教文化の影響もあり穏やかなイメージのあるが、他方政治面では違った顔も見せる。王室への敬意を示す黄色いリボンが至る所にみられるように国王は直接政治に関与できないが尊敬を集めている。
お互いを呼ぶときはニックネームで呼ぶことが多くフレンドリーな国民である。男性は「サワデイクラップ」女性は「サワデイカ」と挨拶するが、しぐさには3種類ある。同じ年代の人には両手を揃えてあごの下に、偉い人(特にお坊さん)には鼻のところまで両手を揃える。下の人には両手を揃えるだけ、男も女も同じである。お坊さんは尊敬されているが殺生をしない(どんな虫も殺さない)化粧をしない、結婚もしないことになっている。結婚式のときには大勢のお坊さんを呼ぶのが習慣となっている。
最近は日本のアニメなど外国の文化や商品など人気がある一方、キックボクシングを女性もやるようになっており、これが人気だと世の中変わったものだと思う。お腹が出るのをおさえることになるという。
タイ語は面白いよ。1:ヌン 2:ソーン 3:サーム 4:スィー 5:ハー 6:ホック 7:ジェット 8:ペッート9:ガーオ 10:スイップというように。イントネーションは中国語の上手を行く5声あり男性と女性で表現が違うなど特徴を持っている。(ニム・ワニパ)
微笑みの仏教国
スリランカ シギリアレデイの国
職場や同僚の理解もあり飼育係の職を休職して青年海外協力隊に参加、アフリカのウガンダに2年間赴任してきた。ウガンダ、そこは東アフリカ高原に位置し標高1100m,首都カンパラから360km離れた森林保護
区内にあり持続可能なエコツーリズムを導入し始めていたこともグッドタイミングでした。当初サバンナということを聞かされ、やはりそこは乾燥地帯だろうと想像していましたが、霧が発生するしお茶も取れるし果物も取れる場所があり、またそれらの気候が影響してか住民の穏やかな気質に救われたものです。
特にチンパンジーの調査や周辺住民の環境教育に軸を移して地域住民の生活向上に勤めてきました。
スタッフの面々や村人も協力してくれ、いろいろ大変なこともあったが充実感あふれる毎日を送ってきました。
現在、ズーラシア動物園でチンパンジーなどと向き合って仕事をしていますが動物園を訪れる人々と生息地周辺に暮らす人々が同じ方向を向いて、地球規模の自然環境や野生動物の保護を目指していける日々を願っています。チンパンジーは頭がよく子供たちが動物園を訪ねるとキャキャと言いながら楽しんでいる姿を見ると野生動物とにんげんが共に歩んでいるんだなあーとつくづく感じる毎日です。(川口 芳矢)
ウガンダ チンパンジーとともに
イギリス イギリス人のユーモアあるライフスタイル
面積は日本の4倍、人口280万人、集中首都ウランバートルに1極集中。周りは草原と砂漠のモンゴル、都市の生活と遊牧民の生活に2分する。都市の生活を見てみると若者のファッション、いろんな国の料理が食べられるレストラン、みんな携帯を持っており、インターネットがあちこちで使えるようになってきた。通勤時は車が渋滞しラッシュが続く。時間がかかるのは先進国並み。産業面ではトロリーバスを組み立ててこれを輸出できるようになった。
一方、遊牧民の生活は春には家畜の出産、夏には草がたくさんあるところへ、秋には冬の準備を、冬には風の当らないところへそれぞれ移動する姿は以前と同じだが、昔のようにラクダ・馬での移動でなく車で、また携帯やテレビも必須品となっている。遊牧民はあまり時間を守らないと言われているが生活は確実に変わっている。遊牧民はどうやって生活をしているかというと春カシミヤを取り、また家畜の乳製品や肉などを都会に持参しお金を得るとともに生活必需品を買って帰るという生活をしている。都市・遊牧民いずれもモンゴルの人は休まず働らく国民、日本人に好感を持っている。(ゲレルマー)
遊牧民の生活と都会の生活があるが、遊牧民は伝統的なパオに住み四子王旗を掲げる。結婚すると隣に住む。都会の生活は別にして昔ながらにラクダ、山羊、羊そして馬を飼っている。 昔は野生の馬を捕まえてきて飼いならし自分の財産としたが、今ではそれは少なくなった。昔と違って放牧の使用権といったものがあり家畜をどこにでも移動させるということは出来ない。放牧地は8時間移動しても誰にも合わないということも珍しくない。郵便局も場所が変わると届かないし、新聞もないといった方がいい。電話も村に1台、ただし、今は携帯が使えるので便利になった。災害としては冬の草の問題がある。なければ羊とジャガイモ5000元で1トラック分買うしかない。
ところで省都フフホトに行くと言葉も踊りもモンゴル遊牧民とはまるで違っている。子供がいれば3か月の学費・生活費5000元、小学生の時代から寄宿舎、寮などに入り学校に通う移動民族ゆえ移動民族ゆえ草原では暮らしていけない。金と学力があれば海外に留学させるケースもよくある。アメリカ希望が一番多いが、日本に対しても違和感はない。ここではモンゴル語というより中国語、モンゴル語を知らない人も多く悲しい。都市で働くには中国語が必須でモンゴル語だけでは生きていけないし民族衣装も着ていない。中国の少数民族の一つモンゴル、外モンゴルと言われるモンゴルはもともと同じ民族だった。ビザが必要であっても交流はある。(薩仁 高娃)
一人っ子政策は1979年にスタート、その背景の一つには1949年の建国時4.8億人の人口が1979年10億人に、30年間に倍増したことがあった。現在13億人と言われているがいるが、戸籍にない人をいれると15億人以上?
実際の政策は人口の93%を占める漢族が対象で、少数民族は対象外。さらに国民のレベルアップを目的とする「晩婚・晩育」「優生・優育」政策を内容とした。
その結果、今日では男女比率のアンバランス(全国平均男118:女100)(地方と都会でも極端な状況)となっており、未婚者の増大、老齢人口増や労働力不足が懸念される状態になってきている。1980年後生まれた世代はそれまでの時代と全く違った世代で、インターネットによる情報の発信力を身に着け、それまで中国にはなかった「民衆」とか「ボランテイア」といった概念を発生させた。これら新しい世代の感覚がこれからの社会を変えていく大きな原動力になっていくだろう。(趙 方任)
中 国 今どきの中国
私の住んだ町、工場の風景
アフガニスタンやアメリカとの関係もあって政治的にはなかなか厳しい関係もあるが、世界四大文明の一つインダス文明はここで花開いた。国教はイスラム教、イスラム教徒(ムスリン)が95%を占める。私は北西辺境の地の出であり最近はアフガニスタンとの関係もあるので入国もままならない。
パキスタンはイスラムの国で、六信五行という信仰の内容とどういった行いをするかが決められています。行いの中には「礼拝」もありますし「喜捨」という貧しい人に施しを行うという考えも定着しています。家族で世話をするためパキスタンにはロウジンホームがありません。一方断食の習慣があります。ラマダン月には三十日間の昼食を断食する事が義務付けられています。ラマダンの日程は実際に月を観測してその国の宗教省が決めることになっています。正月には動物を生贄にして貧しい人に配ります。お坊さんや聖職者はいなくて商人の倫理を重視する社会です。
イスラム国共通ですが、銀行では利子がつきません。結婚する時は契約書を作ります。人間は弱いからだそうです。一夫一婦制ではなく多妻も可能ですが夫は妻を平等に扱わなければなりません。離婚は少ないです。豚肉やお酒は禁止の国です。(杉山恵理・サファラーズ ハーン)
カンボジアの教育支援
ロシアに次いで世界で二番目に大きな国土を有するカナダ。資源も豊富である。ロッキー山脈、ナイヤガラ瀑布広大な自然はよく知られているが、カナダの歴史は多様でダイナミックな多文化社会、活気あふれる芸術や国際社会で果たしている重要な役割や技術先進国であるというのはあまり知られていない。
若い国家とはいえ、先住民は数千年にわたりアジアから来たというのが通説になっている。
16世紀にフランスやイギリスから定住植民地を求めやってきた。ケベック州はフランス語圏である。第2次世界大戦まではヨーロッパ中心であったが、1945年以降はアジアや中南米からの移住者も増え多文化モザイク色が一層豊かなになった。特に文化で活躍が見られる。日本との貿易も盛んである。(アンウイシャート ヤング)
イタリヤ 男も女も掃除・料理みんなやる
ブラジル 発展期待される未開の大国
co3
理解38
セネガルって どんなところ?
モンゴルはロシアと中国に囲まれ両国との関係抜きには考えられない。産業としては石炭や鉱物資源、それにカシミヤや肉などの輸出に限られるし、政治も4年ごとに変わってきたので外資もそれほど多く入ってこない状態が続いている。経済成長は続いているが、都市の渋滞、公害など環境問題を引き起こしており改善するほかない。温暖化の影響もある。首都ウランバータル年間平均気温マイナス4度なるも変化が大きくなっており、また地方でも年々気温の寒暖の差、揺れが大きくなっているようで放牧する人にとっては厳しい時代になっている。
モンゴル人の話題と言えば、ナーダムのお祭り、3つのスポーツ(競馬・相撲・弓道)そして5つの動物 (羊・ヤギ・馬・牛・ラクダ)との生活であろう。
NZライフの魅力
私のアメリカ
モンゴル
ロシアと中国に囲まれて
モンゴル
発展途上の国
スリランカ スリーパーク頂きの足跡
母子手帳作成・普及に協力して
お返し、引っ越しそばの習慣