政治腐敗と紛争、貧困の負の連鎖から脱出し成長を続ける地域がアフリカにもある。南ア、ナイジェリア 
ガーナ、モザンビークなど アフリカは人口が多いだけに、人口の過半数は貧困層であるが 中間層だけ  で3億を超えるターゲットは最後の成長大陸として各国が触手しているのもうなずける。南アフリカに限らず 
アフリカ全体に中国が資源外交を行っているし、武器輸出なども狙っているという。富裕層の拡大に合わせ
スマートフォンの普及をはじめ 、トヨタの車、中国製の中古品に至るまで品数は以前と比較すれば格段に増えている。南アフリカのスーパーも国内に限らず周辺国に出店攻勢をかけている。携帯電話は食べ物
についで民衆憧れの商品で、治安が安定しているところでは、この他商品数をどんどん増えているようだ。
 そしてどこの国にも見られるように地方から都会へといった流れは同じである。ケープタウンの夜景など 先進国の都会となんら変わりなく、また日中の交通ラッシュも渋滞が付き物となっている。
資源開発が牽引役として果たした役割は大きいが、現在はその域にとどまらず電力や水にも関心ている。

 高血圧のため、医者からすすめられ自動車通勤から自転車通勤に切り替えたところ腰痛、肩こりが治った事がきっかけで、それならと「地球と話す会」に入会、シルクロードを自転車で挑戦することになった。
西安〜ローマを23回で走ろうという途方もない計画。参加者は年齢29歳〜72才、概ね1回の工程は400〜700km(1日80〜100km)を毎日走ろうというもの。最初はなにさんかした。も考えなくて参加した。ことばの勉強、予防注射、荷物の点検から始まった。
 一番大変だったのは「長期休暇」をとるのが大変だったこと。もちろんすべて参加したわけではなかった。
参加したときは、それぞれの土地で様々な人々と出会い、いろんな発見があったのが励みだった。
 第7次ツアー・中国のカシュガルからキルギスのビシュケクの工程では国境が大雨、紛争、政治的な決断で通れず飛行機で越境せざるを得なかったこともあるし、どこにもトイレがなく困ったことや、イランでは断食月に遭遇し前もって食料を買わざるを得なかった事、その際鍋が必要だったが、これは「重さで測るのですよ」と言われびっくりしたこともあった。
 19次ツアーではセルビアのベルグラード〜クロアチアのザグレブまで700qの工程石畳の道,教会、モスクなど東ヨーロッパの風景,各家の煙突の先端にコウノトリの巣があり、その光景は忘れられない...一方のボスニアでは銃弾の跡が生々しく残っていた。酷暑、食事、水、トイレ問題 毎日が必ずしも穏やかだとはかぎらない。上り坂、下り坂 お天気もそれぞれ違うし、実際毎日の走行なので結構きつく「メタボ解消に向いている」という隊員の声も本当だと思った。私、今では体調も良く自転車の旅をみんなにぜひ勧めたいと思っている。(山田悦子)

 ナマステ。 インド5000年の歴史は多様な文化を築いてきた。面積は世界7位。人口は世界2位の12億人。認められている言語だけで18、宗教は80%の人がヒンドォ教を信奉している。ヒンドォ教は牛を神様と崇めサリーを着る。もとよりインドは多様な民族・言語・宗教によって構成されている。
1947年英国より独立したが建国に貢献したガンジー氏が今も国民に崇められている。教育面では識字率70%なるも、インド式数学と英語 これに重点を置いており、インドの知的水準を高めている。
家族関係では長男が親の面倒を見る、父親が権限を持つという昔の日本の家族主義と同じ。インドには老人ホームもない。
 発展途上国と言われているインド、現在はインフラ面での都市環境の整備が必要であるが、広大な土地、人口、知的水準の高さは、近い将来経済大国になる可能性を秘めている。今後、日本がインドと更なる交流を深めることが相互の国益に繋がることになる。

理解23

スリランカ南部の聖山スリーパータの項に大きな足跡が刻まれた岩が岩がある。この岩が信仰の対象である一方多文化社会をも教えてくれる。仏教徒(シンハラ人)は仏陀の足跡として、ヒンドウー教徒はシヴァの足跡として双方の聖地となっている。双方の対立のもとに分離独立の抗争に国民が頭を痛めている。
標高2000mを超える山の上は涼しくセイロンテイの名で有名なお茶の栽培が有名である。
涙のしずくと言われるスリランカ、海岸線はとてもきれいで、ゴールデンビーチはサンゴの名所、国土の1割は自然国立公園だという。識字率91%なるも大学への進学率1割、学費は無料、病院の治療も無料、、要は貧富の差が多いことを意味する。車のぜいきんは高いので調整もしているが一般的にはバスが移動手段の一つとなっている。(ファイク モハメッド)

理解27

海外・こんなところ あんなところ
 ニュージーランドは,日本から九州を除いた面積に380万人の人が暮している。先住民のマオリ族は50万人。北島に300万人、日本の本州の7割の広さの南島には80万人しか住んでいない。しかもクライスチャーチに34万人、ダニーデンに12万人だから、その他全部で36万人、地方に行けば家もないし人にも会わない。マオリ族は尊重され、国会議員も4名は優先的に選ばれている。自然は厳しい位までに保護されていて、南島の11%が国立公園に指定され原生林が大切に保全されている。
 ニュージーランド人の生活スタイルをみると、会社で残業をすることはまずなくて、まっすぐ家に帰り、家庭人となる。食事の時は家族一人一人がその日の事を話し、互いの経験を共有する。勉強やピアノの指導なども親が看ている。家の修理・改造などみな父親の仕事だ。家庭のために働くという事で父親の家長としての立場もはっきりと確立されているし、家族としての纏まりもある。
 義務教育は最低限の社会生活をするために必要な事を教えるという個的がはっきりしているので、女の子には赤ちゃんの手伝いをさせたり、全員に救急法を教えたり、社会人になるためにダンスパーテイを企画・実施させたりもしている。スポーツも日本のように一つのスポーツに部活などで縛り付けないで、出来るだけ多種類を経験させて自分の生涯スポーツを見つけられるようにしている。日本の学校を卒業したら、スポーツをも卒業というのとはずいぶん違う。家を購入する時、田舎町であれば敷地250〜300坪で築15年の3LDKなら400万円位で買える。ついでに生活費はいくらかかるかというと、平均的な生活なら5万6千円位。生活関連費(教育・医療・上下水道・電気・電話ゴミ等)は全部で年間4万円ほどだから、日本と比較すれば安上がりだという事はよくわかる。
 しかし、こうした安定した生活も別の見方をすれば『刺激がない』『活気がない』『失業率が高く仕事がない』(失業しても生活は出来る)『物質的豊かさがない』ともいえる。敷地が広い美しい庭も、実はこれを維持するためには、それだけ手がかかる。家庭に縛られもする。そんな生活は耐えられないという平均的日本人が多いと思う.
 エネルギーは原子力はもちろんのこと、ガス・石炭も使わない。電力は小さなダムによる水力発電と地熱
発電にたよっている。家庭での調理もすべて電気である。家庭での調理もすべて電気である。これはすべて空気のきれいさを保つという環境への配慮からである。このように日本とは考え方においてずいぶん違うが、平和主義、平等主義、社会資本の充実、環境への配慮など理想郷を創るという建国の理念が今なお色濃く残っているし、世界一の福祉国家であった記憶も国民の中に根づいている。日本人旅行者のリピート率が高いのもうなづける。機会があったら,ぜひニュージーランドでホームステイをしてみることをお勧めする。(田中) 

中国

ロシアの新年

理解39

ロシア

理解20

イスラム教徒が建国した国

エストニアはバルト3国の最も北に位置し、今まで外国から支配され続け ソ連崩壊でやっと独立出来た。九州と同じくらいの面積135万人が暮らすエストニアは半分を森と沼に囲まれている。ドイツ時代の歴史建造物が残るタリンのまちは観光に力を入れており、次いで農業国(リンゴとポテトはどこに行っても見る事ができる)である。このほか産業としてはIT産業・情報学が盛んなことでも知られている。サウナも有名で多くの人は土曜・日曜日サウナに行く人も多い。
 宗教はほかの国と違って無宗教のひとが目立つ。また、生活面ではライフパートナーということで一緒に生活をし、子供ができたら結婚する場合も多く日本にないパートナーシップの法律もある。私の専門は情報工学・メデイアアートですが本国ではこういった分野でも女の先生が多いのが日本とは違う。私が日本に来たきっかけはアニメが好きな友人の話に興味を持ったわけで日本に来てよかったと思っている。日本に来るまでは「芸者と忍者」しか知らなかったが、もっといろんな場所にも行ってみたい。広島や大阪のお好み焼きも食べてみたい。(カドリ・レバネ)




お父さんは屋根、お母さんは家の柱

チベット

理解33

シルクロード
(西安〜ローマ)

異文化交流に最適なクルーズ

デンマーク

ネパール、北は中国、南はインドと国境を接する。標高60m〜8000m級の山々まで亜寒帯から亜熱帯までの起伏にとんだ国、多民族国家でヒンズー教と仏教文化に根差した生活様式は多岐に亘り数々の宗教様式も加わって興味深い国です。
夏に限らずお祭りがそこかしこで繰り広げられるネパール、インドの影響がが色濃いだけにインドに乗っ取られまいとの意識も強い。インドと同様カースト制があり屠殺やゴミの処理など誰でも出来るわけではない。マオイストと呼ばれる反政府組織と国王派の間に内紛が勃発・内乱があったが、今は一応の和平交渉が進み一定の安定を取り戻している。時間はゆったり進み日本のようにがさがさしていない。
 私たちはヒマラヤ保全協会の一員として森林保全ということで樹々を植える作業をやってきたが人々は純粋そのものである。教育さえしっかりすればまだまだ伸びると感じた。義務教育は中学校めで、教育が十分に浸透しているとは思えない。結婚は18歳から可能だが遅いより早い方がいいという風潮もあったが、最近は晩婚化傾向となってきており見合い結婚より恋愛結婚が増えて来ている。結婚に限らず文明国がたどった道をネパールも追い求めているといえよう。 (田中めぐみ)
                                                               
      

スリランカ社会が抱えている問題はタミル人(18%)とシンハラ人(73%)の対立である。多数を占めるシンハラ人は仏教徒、タミル人はヒンズー教徒、過去には抗争もあった。
私は「魂にふれるアジア」を読んで刺激を受け「シギリアレデイ・インターナショナル」という会社を作り、紅茶を直輸入
知人などに買ってもらい利益の一部を同国のために役に立てたいと始めた。どのようにして始めたか。
現地NGOの協力のもと歯みがきの指導から始まり茶園の女性への識字教育、縫製教育、幼稚園の建設・改修運営
様々な助成金を活用しながら徐々に活動を広げてやってきた。ネットワークを主体的に動かす機会を得たわけだが、最初は大変だった。満月の日には白いサリーを着てろうそくを持ってお寺に参るといったスリランカは仏教国でもありほほえみの国、仕事を通して多くの友達も出来た。(松下 立子)

 イギリス流のユーモアとは、アメリカのユーモアがイエス、ノーをはっきりさせた表現をするのに対して人を笑わせたりイエスでもノーでもない、自分自身がどう考えているかをユーモアという言葉で表現しているのである。そこにはインテリゼンスが必要になる。説明は難しいがイギリス人なら解るはず。例えばイギリスの天気は曇天が多く決して良くない。これがユーモアである。料理にしても「まずい」は一般的な評価だが、「イギリスの家庭料理は決してまずくない。うん、世界で一番うまいんじゃない」と主張する。これもユーモアだ。
 多少皮肉っぽいとの指摘もあるが、こういった会話をイギリス人は休暇になると決して都会に行こうとはしない。田舎で自然に浸りながらゆっくり過ごすのが大好きな国民である。「生活をエンジョイするのが一番」との考えからユーモアが生まれるのかもしれない。
 日本に来て20年、日本語がまるっきりわからないわけでもないが、日本語を積極的に話したくないという気持ち、これも1つのこだわりかもしれない。イングリッシュテイにレモンを入れない、ミルクと相場が決まっている、これも同じ考えかな。
 現在イングリッシュガーデンの仕事をしているが、日本人のようにせっかちに結果を要求することには抵抗がある。「だんだんと…」目標に向かって何年も何十年もかけて作り上げていく。それが理想である。日本人は「花を一年中咲かせてくれ」と注文を出してくる。それは無理だよ。自然に忠実であれと言いたい。ガーデニングで大切なのは背景などをよく吟味して頭を使って何年か後を想定して設計するのがいい。そう思いませんか。(スチュアート アクステル)
 

フィリピン    自然とともに大家族で暮らす
ビジネスを通じてアメリカについて感じていることを述べてみると、およそ次の4つになる。
@アメリカの市場は世界である
アメリカ人は世界が米国の市場だと考えている。ひとつの例を取り上げてみると、彼等はアジアを一つの国としかみていない。ところで、日本人はどうかというと世界に出て行くことを全体としてとらえ、日本のビジネスが世界を開拓するのだという視点で見ている。従って、輸出入という仕事があると考えている。これに対してアメリカ人は輸出入という感覚はなく、アメリカの市場もアメリカ以外の市場も関係ない、すべて自分の市場だと考えている点大きな違いがある。
Aアメリカと中国の関係 アメリカ人は中国を生産拠点と考えている。販売拠点はアメリカと世界であると。即ち、一口に「中国製」といっても2種類あるということをわかっていなければならない。一つはアメリカのデザインでアメリカ資本直営でつくる[made in china] もう一つは中国の工場でつくる中国製の「made in china」この製品の格差が画然とあるということも認識しておかなければならない。
Bチームワーク アメリカ人の考えるチームワークは「個人プレーの集まり」ではっきり自分の役割を認識している。これに対して日本人は「チームプレーの中の個人」としてとらえている。ビジネスにおいて、これが原点になる。自覚と責任感をしっかり持たねばやっていけない。日本人は長の指示によって働くが、役割が明確でない場合が多い。
C自立 よく言われる言葉として「自立心」というのがある。たとえば、アメリカ人のところに子供がホームステイしたとする。日本人はいつまでもお客さんで家事を手伝おうとしない。アメリカ人なら家族の一員になったとして仕事もするし、自己主張もする。
 アメリカ式、日本式いずれがいい、悪いというのではない。ただお互いが何らかのかかわりをもつ場合、以上のことは知っておかな
ければ損をする。(坂口)

7か国に囲まれた内陸国。北部や南西部に平野もあるが多くは砂漠地帯、国内を流れる川はいずれも砂漠の中に消える内陸川、東流するカブール川のみがインダス川に合流海につながる。国土の大半は乾燥地帯、真水入手場所は限られている。昔よりシルクロードの中間点「東西文明の十字路」として発展してきたが、多様な民族からなり互いが主導権を競い内戦が続いてきた。その後ソ連軍の侵攻・撤退、アメリカ軍の空爆などでインフラが壊滅状態となっていました。
そんなアフガニスタンの地にBHNテレコム支援協議会の支援活動の一環として現地に2年間駐在し支援活動を行ってきたのですが、これは趣味であるアマチュア無線の技術を生かすことが出来るということで飛び込んだものです。復興と自立を担う現地NGOや僻地医療機関への無線網構築事業を完成させたわけです。アフガニスタンでは一般人にとって高価な携帯衛星電話以外はなく海外支援の後方支援を通して国際協力に貢献したとして42回世界情報社会電気通信日の集いで総務大臣賞を受賞しました。近年中国が光回線を設置し携帯電話も普及してきたがまだまだI CT後進国であり道路や電気等インフラは十分ではありません。ただ、街を歩くと物資はひところより豊富になってきており人々のたくましさを感じることもあります。街の様子は「世界の表情」をご覧ください。
(中西洋夫)

人力車走るイスラムの国

13億人が混在する大陸

インド

主要産業は農業、旧ソ連時代に強制的に進められた綿花栽培が今も盛ん。地下資源も豊富と言われている。青いモスクやアラベスク様式の装飾などイスラム世界の中世の街並みを伝えるサマルカンドやブハラは世界遺産に登録され中央アジアを代表する観光地になっている。
 彼らの生活習慣の一部を紹介しよう。  朝起きてから顔を洗う前に挨拶をしてはいけない。顔を洗ってからにしなさいと言われる。主食はパン、毎食必ずパンが出てくる。また、お茶(緑茶・紅茶)を飲む習慣がある。パーテイなどで人が集まるとき、男と女は別々に食事するのが一般的。お客さんを招くのは大好きな国民で誰がいつ来ても受け入れ可能である。
 12月31日はサンタクロースが白雪姫と一緒に来る日、パーテイで過ごします。翌1月1日はみんな寝てい誰も起きてこない。その正月にはお互いがプレゼントを送る習慣もある。また、10月1日は教師の日、3月8日は女性の日、3月21日サルブス(春を迎える日)これらの日は大切だと思っている日。10月1日は学生は先生に花束を持っていく、成績をよくしてもらおうと賄賂を贈るのも当たり前の世界である。写真撮影禁止の場所、それは地下鉄の構内やテレビ塔の中でというが、ソ連時代の取り扱い規定が残っているのだという。(田原 由貴)

理解37

交流13

セネガル      
   アメリカ 
モンゴル

国内で9時間もの時差があるロシア、その国土は東西に広く、ヨーロッパからアジアの果て、極寒のシベリアまで有する。
民族衣装も多彩で、「セロフャン」と言われるワンピース姿の女性服が一般的。この服はカチュウシャを歌う女性を思い出してもらえれば理解が早い。既婚者と未婚者とでは服装や髪形に違いがある。12月31日の大晦日には願い事を紙に書き、それをライターの火で焼き、それをシャンパングラスに入れ、乾杯する。それを1分以内で出来れば願い事が成就するという言い伝えがある。
新年の料理で必ず作られるのがオリヴィエ、日本のおせち料理のようなものかもしれません。
寒くて長い冬の間、謝肉祭・復活祭などのお祭りが華やかに繰り広げられ、人々は長い長い冬、厳しい寒さの冬が終わり、訪れる温かい春を待ち望むことになる。
新年を祝う正月、そして厳しい冬の過ごし方など万国共通の事のようです。(チホミロヴァ)

ネパール    インドを意識したヒマラヤの国

理解34

理解2

ロシア       日本の宇宙開発

 朝9時、メキシコ料理の準備が始まった。まず、みんなでとうもろこしの粉(マサ)を水で練って小さな団子にし、それを機具で平たくつぶしてフライパンで焼いて、タコスの皮(トルティーア)を作った。さらに手分けして、チョコレートのカレーに鶏肉をからめたチキン・モレ、アボカドのサラダのワカモレ、大豆を煮てつぶし玉ねぎを混ぜたフリホル、トマトで色をつけたメキシコ赤ご飯などを作った。
 10時、講演に移った。メキシコの歴史、地理、文化、国旗・国歌など稲城在住メキシコ人小山クラウディアがフリップを使って説明した。
 メキシコ人の祖先は大昔にアジアから渡ってきてメキシコの各地に住み着き、オルメカ、マヤ、ティオティワカン、アステカ等の北部ラテンアメリカ文明を作った。しかし、16世紀の始めにスペイン人が馬と鉄の武器で当時のアステカ文明を征服し、スペインの植民地として副王をおいた。その後1810年にはスペインからの独立戦争がおこり、メキシコは本国の支配から独立を勝ち取った。
 更に100年後の1910年には貴族支配に対して革命が起こり、ついに共和国となった。2000年、革命以来の一党支配から抜け出して、現在の民主政権となったという歴史がある。小山家の家族も、詩を朗読したり歌(シェトリンド)を皆で歌ったりして、発表を手伝いいっしょに楽しんだ。最後にメキシコの民族衣装と踊りのビデオを見て講演は終了した。そして食事、旺盛な食欲で皆のお腹の中におさまった。食後、質疑応答の時間、メキシコの宗教はキリスト教? 白人とインディオの混血は進んでいるの?社会階級と貧富の差は? 日本とメキシコのゴミの収集の仕方の違いは? メキシコ人から見て日本の社会はどのように見えるか? など様々な質問が出て論議は盛り上がっ。
 特に物は豊富で便利だが、緊張を強いられストレスの多い日本社会と、貧富の差が大きく治安もあまりよくないがリラックスして家庭の楽しみを大事にするメキシコ社会との対比に示唆するものが多くあったようだ。(小山良夫)

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理解3

 

理解8

講演内容の一部を紹介しますと…

 チベット、国ではなく文化圏である。多くは中国の一部に編入された他、ブータン、ネパール、インドなどにもチベットは広がる。彼らの多くは
ヒマラヤ山系など高度山岳地域に住んでおり、半農半牧、経済的に厳しい生活を余儀なくされてきた。お父さんが2人とかお母さんが2人
といったヶースも考えられ、いわゆる大家族が原則の世界である。子供の数も多い。「お父さんは屋根、お母さんは家の柱」という言葉もあるように
財布を持っているのはお父さんだが、他方お母さんがしっかりしないと家がつぶれてしまう…ともいう。そこで教育に夢を託しており、子供にお坊さん修行をさせたいという親も多い。
 「すべてのものは永遠には続かない」「生き物を殺してはいけない」彼らは輪廻転生を信じており、お祈りすれば力が倍になるという。また、人が
死んだときそれは「自然に身を沈める」という意味であり火葬、水葬、土葬などの他、高僧などに対しては鳥葬といったやり方もあるという。
木が少ないので火葬は少ないともいう。
 当日はチベット特産の「モモ」という餃子、バター茶などおいしくいただき、歌姫の音楽を聴き、楽しいひと時を過ごした。
(藤田)

バルト三国の優等生

エストニア

費用や行動に関する質問に対して、 宿泊費は1泊600〜800円で可能であるが私は2000円を目途に泊まった。

食事は1食だいたい300円、交通費は国によって違ったが1日長距離バスに乗って4000円から8000円  

入場券など1か月10万円、旅行保険10万、往復航空券25万円、しめて半年180万円だった。この間怖いこともあ

ったが、命にかかわるようなことはなかった。もめたことと言えばタクシーに乗るとき約束した金額、降りる時それ以上請求さ

れた時だ。メキシコやホンジュラスでの流しのタクシーは特に要注意だということが分かった。

中南米を旅行先に選んだのは未知の国、まだいった事がないというのも理由の一つだった。半年という長時間だったので

日本にいると同じような生活リズムになるよう、例えば1週間外に出ないような日を設け、その日は洗濯したり和む時間を作った

のが良かったと思っている。また、極力地元の人たちと交流をおこなった。どこに行ったらいいか、どこに泊まったらいいかなど、

地元の評判を聞くことも非常に役に立った。(東苑 泰子)

大地、大自然は私たちの母

グアテマラ

バングラデシュはイスラムの国、インドから独立した際、パキスタンに帰属したが、その後西パキスタンのウルドウー語を公用語にするということになり独立運動がおこり、ベンガル人といういう民族性を拠り所に71年似独立した。
バングラデシュはインド洋に面し、デルタ地帯を形成しており雨季には国土の大部分が水没するという世界で最も自然災害の影響を受けている。川の氾濫に悩まされながらも豊富な水と肥沃な土壌に恵まれ世界有数の人口密度の国である。人口1億5千万、貧しさと戦いながらも、新しい試み貧困層への融資を行っているグラミン銀行の例などあり世界の注目を集めている。
町の中を面白い乗り物が走っている。それは人力車である。歩いて5分であっても利用する。それは日本円で10円も出せば乗れるからだ。お金と言えば大学卒業後の平均給与は約3万円で決して高い金額ではない。近年8年までは義務教育となった。識字率50%である。産業では近年I Tが盛んになってきたが、まだまだ軽工業が中心である。バングラで有名なのは長い海岸線であるが、あまり知られていない。その海岸線の中に絶滅寸前のベンガルタイガーが住んでいる。
私の夢は日本でキャリアーを積んで帰国後大学の先生になるか、もしくは自分の会社を作りたいと考えている。(マハフェジュス サラム)

いにしえのシルクロードの面影を残すウズベキスタンにJ I CA海外青年協力隊のメンバーとして、ブハラの学校に音楽教師として赴任した。最初はウズベク語が解らず苦労したが音楽は共通語、だんだん子供もわかってくれるようになった。生徒は素朴で元気そのもの、すぐ反応してくれ対応は大変だったが、生徒から慕われ相手にできたという事はラッキーというほかなかった。現地は小さい時から民族舞踊など盛んで、これは大変だと思っていたが予想に反してピアノや楽器など十分にそろっていなくて自分の思い通りの授業もやることが出来た。帰国する前に折角なので演奏会もやって帰ってきた。
ウズベキスタン、ブハラの気温夏平均40℃、冬−30℃にも慣れ、またウズベキスタンの料理、プロフ、ノン(ナン)、ラグモン(麺入リスープ)羊肉などポピュラーな食事も堪能してきた。ウズベクは2重内陸国ゆえ魚ではなく
断然肉料理であった。メロンやアンズなど甘くて安く果物は豊富に食べることが出来た。
また機会があったらもう一度ウズベキスタンに行ってみたい。(雨宮恵美)

遊牧民の生活と都会の生活

 我々の様に私費留学生にとってアルバイトは必須であり、自分の時間がなかなかとれず勉強との両立は大変です。日本人との接触が取れないまま帰国せざるをえないという先輩の言葉を聴いたことがある。確かに日本語を覚えるのにアルバイトは役に立つし、日本人は親切です。日本に来る前ホームレスがいるなんて思ってもいなかったが、その話を聞いて日本にもそういうところがあるのかと安心もしました。 友人から聞いた話、アパートのに中国のお母さんが訪ねてきたので隣の人に餃子を作ってもっていきました。すぐその人からシャンプーが届けられた。なぜそんなことになったのか、これをどう解釈したらいいか悩んだといいます。この質問に対して「それは悪気があったのではない。何かをお返しするのが日本人の習慣です。そしてお返しするのなら、もらって困らないもの、わざわざ買うのでは仰々しくなるということでシャンプーを持ってきたのでしょう。」との説明であった。
 この他にも「引越しそば、なぜソバでなければならないのか‥いろんな異文化についての意見交換があった。また、内モンゴルの草原、羊が多すぎて今では遊牧しようにも、なかなか出来ないのだといった現状、教育制度についての説明などあった。(張麗・ごわ)
 日本に来て驚いたことはたくさんあるが、まず「忙しい事」そして 冬は寒いという事、生の食事をする事、隣の人が何をしているのか余り知らないこと、最初は戸惑った。
フィリッピンはカトリックが83%と最も多く、英語・タガログ語が公用語。国民の3%の人が国資産の60%を持っている程で金持ちと貧乏人の差は大きい。
国民のほとんどの人は共稼ぎ、女性は自分を犠牲にしてでも家族に尽くすと言われるが、まだまだ大家族、おばあちゃんやおじいちゃん等が支えているという事が言える。決して裕福でない生活をみんなが助け合って生きていかなければならないだけに、特に田舎などに行くとみんな親戚といった感じ。
 自慢できることは、果物や自然ということになろうか? 大きなバナナは日本に来るが、その他にもおいしいたくさんの種類のバナナがある。アイスクリームやドリアン、マンゴー…料理の方もアドボ、シニガンスープはじめ酢を使ったおいしい料理ががたくさんある。一方海も田舎へいけばまだまだきれい。白い砂浜がどこまでも続く。夜、蛍が家の中に飛んでくる等自然が残っている。
 生活は時間観念が不足するが、一方何時までも待っていてくれる。計画性はないが、とにかくのんびりしていて人なつこく温かい人々である。
東欧・バルカン半島の小さな国ブルガリアというと、日本人はまずヨーグルトを思い浮かべるようですが、私はすべての宝石を連想します。また歴史も好きなので、勉強もしてきました。ブルガリアの国は1396年から1878年までオスマン帝国に支配されたが、その間キリスト教を守り抜いてきた「リラの修道院」というのが一番有名ですが、このほかにも、昔のお城を見ていると…昔のことを想像してしまいます。
修道院では、学校が開かれキリル文字が保存され、刺繍など伝統的な技術が発達したようで、これら博物館やアルバナッスイという有名な建築村なども近くにあります。
 夏になると黒海が温かくなるので家族でピクニックに出かけます。冬は冬で山にスキーやスノーボードをやっている人も多い。私はスキーも好きで、ソフィア近くのヴィトショ山、リラ山、などでやっていました。
 歴史や自然だけでなく、文化・音楽・民族舞踊などもバラエティに富んでいます。ブルガリアは「カヴァル」という笛「ガドルカ」というバイオリン、「マンドリナ」というギターを世に出しました。また、「ホロ」というダンスも有名です。三鷹でやっていた盆踊りとよく似ていたのでビックリしましたが。
 ところで、「タラトル」というヨーグルトでつくったスープいかがでしたか?ブルガリアでも人気のスープです。サラダでは「チョプスカサラダ」がよく知られており、刻んだトマト、キュウリ、たまねぎと材料も身近、ヨーグルトケーキやお茶などといっしょに食べるとおいしいですよ。(イヴァン)

ウズベキスタン

詩と歌なしで人は生きられない

食べる」韓国…辛い唐辛子・舌にカー・興奮・カッカくしゃみエイチ・ストレート  突出し頼まなくても出てくる
      日本…辛いわさび・鼻にツン・鎮静・物静かくしゃみハクション・ア・ウンの呼吸 頼まないと出てこない

「住む」  韓国…冬気温寒いがオンドルで暖かい 家賃毎月           夏冷たいシャワー  海に行く
      日本…冬隙間風  マンションは暖かい 家賃の他補償金制度   夏暖かいシャワー 温泉に行く

「着る」  韓国…鮮やかなチマチョゴリ 結婚式韓服  くつろぎ着貸してくれる
      日本…素敵な着物       結婚式羽織袴  くつろぎ貸してくれない

「礼儀1」韓国…1回きりのぺこ お酒「目上の人に対して横を向いて飲む」 本音と建て前ストレート  言葉「負けるな」
      日本…ぺこぺこ    お酒「そんなの関係ない」           本音と建て前使い分ける 言葉「勝たせて」

「礼儀2」韓国…子供1歳のお祝い(糸、ノート、お金、鉛筆の中から何を選ぶ  将来の仕事を選ぶ
      日本…七五三のお祝い(男三,五歳、女三,七歳 氏神に参詣する。千歳飴を持って)        (具 亨謨)

呉の国 無錫というところ

 パレスチナはイスラエルの中にあってヨルダン川西岸地区とガザ地区に飛び地のなかで生活している。
パレスチナ人と言われる人は世界中に1000万人を超えると言われているが、その多くの人はヨルダン、はじめ近隣の国に散らばって生きている。 いわゆる難民として生活しているというわけである。
 パレスチナの中を移動する際もイスラエルが作った検問所をいくつも超えていかなければならないし、コンクリーの壁もはりめぐらせている。こういった現実を乗り越えて住民はたくましく生きている。以前自分が住んでいた地域を離れなければならなかった人を難民というが、多くの難民を抱えて生活しているいるのも事実。
今回は、そのパレスチナの地でJICAの活動として母子手帳を作成・普及をしてきたが、どのように実施してきたかをのべていきたい。
 活動を始めて2年、ヨルダン川西岸におけるラマラやエリコでのパイロット事業が住民に受け入れられ、当初の計画通り進めることが出来た。ただ、ガザ地区には日本人が入れないのでその実態はつかめないもののテレビ会議も可能なので現地の人に普及をお願いしてきた。国際交流さろんの当日パレスチナの留学生アブドルラーマンさんも出席「今日本で勉強しているが、将来は日本で学んだことを本国でいかしたい」と抱負を語っていたが頼もしい限りだ。(山崎健二)

理解31

交流6

アフガン国境を走るSL

台湾は日本人には馴染みの隣国だ。1890年金鉱の発見でゴールドラッシュに湧いた九?始め古い町並みが数多く残っている台湾に魅せられてこの運動に参加してきた。戦前の日本統治時代そのままの建物や街並みが当時のそのままに残っているのを後世の人たちに残してあげたいとの思いもありこの運動を続けている。これら町並みは歴史的、建築学的な意味での遺産である。
 台湾は親日な国で、毎年多数の人達が両国を行き来して、観光に、商業にと交流が盛んである。
お国の自慢料理の紹介では電通大留学生の沈宣郡さん、薜冰さん、陳怡宏さんの3人が担当してくれた。葱花卵、香茹鶏湯などメンバーのみんなと作って食べた。手馴れた料理裁きで調理方法を女性会員に教えていた。台湾料理の味付けはどちらかというと薄味で私たち日本人にも馴染める料理で美味しく食べることができた。

理解5

理解1

奴隷海岸とブードォー教

中国  

 セネガルの主食はお米もしくはミル(アワやヒエ等でできた)、それに魚(マグロ)や山羊などを食べています。日本に来る前は地元でピーナツを原料に(遠心分離器を使って)油を採ったり、皮を肥料にする会社に勤めていた。
セネガルは西アフリカの中心であった所、ダカールラリーやサッカーで知っている人もいるが、これといった産業はない。以前は森も茂り緑豊かな国だったが、燃料として切ってしまったので元の状態に戻すことが大変で、この方面の努力は始まったばかり。マリとの国境付近は砂漠化しているし、わずかな水を求めて翻弄されながら生活をしている。
 昔は村全体が一つの家族の様にお互い助け合って生活していたが、それぞれ独立して生活したいと考えるようになった。その為にお金もほしいが、働く場所もないので思うように行かないというのも現実の話である。男1人に奥さん4人といえば羨ましがられるが、女性から言えば男性1人が言いに決まっている。一人が成功するとその人に頼って生活するという姿はよくある話である。それとイスラムの社会における喜捨といった精神も生きているので、金持ち、貧乏ということもさほど気にすることはないとも言える。昔は家族というより村単位で共同生活をやっていたようなもの、その際は村の実力者がみんなの面倒を見る代わりによく働いたが、現実はいったん家の中に入れたら「これ幸いと働かない人も多く「必要最低限の人のみ」家に入れるが他人の事に面倒をみな様になっている。踊り・音楽・スポーツが盛んで、天性のリズム感は生活そのものから生み出されている。
 小さい時から自転車のタイヤを使って遊び、また缶詰に使った缶をワイヤーで引っ張り楽しむ姿など素朴そのものである。マラソン、サッカー、バスケットなど結構盛んで、彼らは外国でプレーするのが夢である。(ババカル)

韓国   韓国と日本を比較してみれば

カナダ     資源豊かな多文化社会

カンボジア

    厳しい生活も家族で助け合って

交流9

フレンドリーな人間関係

ハワイ 

都市の生活と遊牧民の生活


無錫は上海から内陸に少し入ったところ、日本企業も多く歌謡曲の「無錫旅情」の故郷です。
紀元前585年〜473年「呉」という国があった。無錫はこの「呉」の発祥地、「呉」は製錬加工技術、農具製造、武器の製造で中原の国々を圧倒しました。その後「隋」の時代には大運河作られ、今も支流とともに残されています。「隋」の時代には日本から「遣隋使」が派遣され、その留学生たちは隋の国の政治制度、文化等を日本に持ち帰りました。「頭脳」の「ず」はは呉の時代の発音「頭部」の「とう」「米」の「べい」は漢の時代「饅頭」の「じゅう」は唐の時代の発音です。日本にこれらの漢字が入ってきた頃、中国を支配していた国の発音が言葉に反映さ残っています。また、無錫にはおいしい江南料理がたくさんあり「無錫排骨」豚肉の甘い料理は特に有名です。(任 晶)
 インドネシア

日本人は働き者

 日本より少し小さい面積、人口8200万人、首都ハノイ。言語はベトナム語。90%が仏教徒中国支配千年を経験、中国文化圏の一角。以来フランスの植民地、南北分断。アメリカの介入などがあり、1976年南北統一、社会主義共和国の誕生、現在に至る。
 気候は亜熱帯に属し、米は四毛作でき、輸出ではタイについで世界2位。南北分断の影響も大きく、北と南では経済水準もずいぶん違う。南では土地も肥沃で仕事をしなくても食っていけるのでのんびりしたもの。GDP低くても外資の85%を留学生に使ったお国柄。
若者が海外に出ても本国に送金があるため帳尻は合うとか。国の経済成長率も現在右肩上がりで成長している。

交流4

理解21

 ロシアのイメージはどんなイメージですか? ロシアと一口に言っても、とてつもなく広い。ヨーロッパとアジア(西シベリア、東シベリア、極東)がありますがほとんど森林です。ロシアではほとんどセントラルヒーティング、各部屋でお湯が出ます。これは国が払ってくれます。日本に来てびっくりしたのはどこまで行っても家があること、ロシアなかんずく極東では人が住むのは一地域に固まって住むほかないのです。極東全体でも人口わずか60万人しかいないのです。また、極東とモスコーは遠過ぎます。みんな共働き、そして家庭を大事にします。助け合って生きています。
 ロシアの人は西から東に移動してきた(移動させられた)人も多く少数民族も決して少なくありません。ロシアの教育システムは小学校4年、中学校5年、高校2年、大学5年で、たいがいは小中高同じところに11年間通うことが多い。季節という事では夏は25℃〜30℃になります。但し、期間は短く3ヶ月程度。9月が最もいい季節、そして10月から翌年3月下旬まで冬です。今年の冬は20年ぶり暖冬で平均気温−25℃〜-30℃でしたが、みんなは、この冬が一番好きな季節です。行事や祭りがいっぱいあるからです。クリスマスもあるしお正月もあります。サンタのおじさんからプレゼントをもらうこともあります。会話、笑い話を作るのが好きです。また、こんなとき欠かせないのがボルシチなどのロシア料理、これはだいたいにおいて体が温まります。ビタミン不足を食事で補わなければなりませんので、どこの家庭でも作ります。パンが主食、あとジャガイモと野菜ですが、赤いトマトなど特別な野菜として誰もが好きなものです。
 冬は寒いばかりでなく、太陽もめったにわれわれの前に姿を現してくれません。子供が生まれた時など必ずビタミン剤を飲ませます。厳しいがゆえに長い冬が終わると、今度は春がやってきます。春はみんなが心うきうきする季節です。冬よさようなら、春よこんにちはです。ただ、ロシア正教などでは春になる前1週間は断食の季節、肉を食べられないということもあります。(ハバロフスク出身 ピスチェヒナ・アナスタシア)

冬は楽しい、でも春が待ち遠しい

ロシア

理解22

 アフガンの報道で、すっかり有名となったが、インドと対峙しつつ安全保障を国家最大のテーマとして軍人が支配してきた、ヒンズー教徒支配を嫌ったイスラム教徒が建国した国である。日本からはまだまだ遠い国。インドから分離独立して40数年、カシミール問題もかかえ多難な国である。日本でのニュースはアメリカやイギリスからの一方的なニュースのみで偏りがある。北と南では気候も生活様式もまるで違うため一様に説明できない。北は7000mを超えるカラコルムの山々が聳えるかと思えば、南はほとんど砂漠、夏など45度を悠に超える灼熱の大地までなんでもありである。カラチやペシャワールなど治安面で危険な地域もあるが、すべてがそうではなく変化に満ちた自然、多くの民族が暮し、歴史もあり、親切で人懐こくて観光地慣れしていない。写真はアフガン国境カイバル峠近くのSL、異教徒の村の子供の表情です。(藤田 佑二)


I IFC TOP

ベチナム戦争時代、アメリカ政府はベトナム共産ゲリラがカンボジアのジャングルを聖域にしているとして ゲリラ追い出しをカンボジアに迫ったが、中立をを掲げていたシアヌーク殿下は非同盟・中立を掲げて応じなかった。そのうちシアヌーク殿下はクメールルージュと手を結び反米闘争を展開することとなった。
アメリカ・南ベトナム連合軍との戦争となり、これの取材のため各国メデイアはカンボジアに、我々共同通信の者も同様に入国した。クメール・ルージュとはどんな人なのか解らぬままベトナム戦争取材のベテラン達は予備知識も予備準備もないまま取材に入った。ベトナム戦争とは違い戦争をする双方とも不慣れで前線がどこかもつかめない戦争となった
ため多くのジャーナリストが犠牲となったのは当然の成り行き。私の部下も2人を失うこととなった。その1人の取材お膳立てをしてくれたカンボジア人記者が後にカンボジアの将来を考え子供たちの教育支援を始めた。   
我々も1993年カンボジア教育支援基金を発足させると同時に彼の郷里を手始めに学校建設に取り掛かった。次々と学校を作っていったが5校目は生活支援をも組み込んだモデル校を建設した。今では支援活動の柱として教科書支援を行っており学習者が一生懸命勉強してくれ学力が向上しているのでとても満足している。 まだまだカンボジアには学校がいくらあっても足りない状態であり活動は今後も続けたいと思っている。(金子 敦郎))
 

家族の楽しみを大事にするメキシコ社会

メキシコ

理35

co15

今も残るペルシャの生活

 イ ラ ン

交流7

co2

理解18

厳しい生活環境の中で

理解4

理解19

交流8

理解29

理解16

理解32

理解9

     

パキスタン

イスラム教の六信五行

 
パキスタン
異教徒の町で(チトラルの郊外)

ギニア湾岸9カ国、通称西アフリカと言われている。ナイジェリア、ベナン、コートジボアール、ブルキナファソ、リベリア、シエラレオネ、ギニアに至る国々である。いずれの国々に入国するにもビザが必要でその代金は70〜80$だという。また、黄熱病対策のイエローカードがないとほとんど入国出来ないという。
1昨年あたりまで猛威を振るっていた「エボラ熱」は集結しており心配はん無用だった。    いずこの国でも人々の暮らしは貧しくて、外国人に食べ物、お金をおねだりするというのは共通のことのようだ。
アフリカの人々は戦争、貧困、病気の世界の中で、想像を超える生存環境の中で将来への希望をもってをもって一生懸命生きていこうとする姿には感動さえ覚える。
 西アフリカのキーワードは奴隷売却奴隷貿易で栄えたダホメ王国、象牙海岸と世界遺産の要塞、金鉱と黄金海岸、フランスの植民地、サハラの南、物神崇拝の呪術とブードー教、芸術大国であり犯罪大国であるナイジェリア等々様々な顔を持つ。(東苑 泰子)

西アフリカ

バックパッカーで6か月

中南米

 仏教国ラオス、かつてはインドシナの戦火に巻き込まれ 今なお海外の経済援助に頼っているが、そこで暮らす人々の心は常に豊かで微笑みを絶やさないラオス。ご飯を食べる際には「年配の人と一緒に食べよう」と誘うのがふつうだし、「子供は両親の面倒をみる」「年配の方が通るときには顔の位置を決して上げないし、女性は長い巻きスカートを穿く」など配慮するといったお国柄。お葬式の礼儀として「誘ってはいけないし、帰る時挨拶してもいけない。」 山や河のみならず人々の心が豊かな国である。
 メコン河を国境にインドシナ半島の一角、基本的には農業国で自給自足。貧しくても生活や食べ物には困っていない。首都ビエンチャンが政治の中心であるなら古都ルアンパバーンは多くのお寺が残る落ち着いた街である。お正月の水かけ祭り、釈迦誕生のロケット祭り、団体対抗のボート祭り、全国の僧侶が集まり読経するタートルアンまつりにぜひ来てください。(ティッキー)

 ハプスブルグ帝国、640年続いた拠点がオーストリアの首都ウイーン。その当時の遺産(文化や芸術など)が今も数多く残っている。音楽の都(ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、マーラー、ヨハンシュトラウスなど)であるだけでなく医学、哲学、そして多彩な料理やワインに至るまで幅広い。ウインナーコーヒーなども有名であるが日本のようにクリームを入れるのでなく、とにかく甘い。メランジェ、フランツィスカーナー、アインシュペーナーなど多くの種類がある。
 私はウイーン大学の4年生、親から仕送りしてもらい下宿生活ですが家賃月500ユーロ、電気・ガスなど200ユーロの生活、妹と一緒に生活している。日本文化や日本語に興味を持ちウイーン大学の藤田先生の計らいで今回憧れの日本に老人介護の研修ということで「いなぎ苑」に研修に来ている。日本の老人と向き合い、みんな親切でいい勉強をさせてもらっている。日本食はおいしいし、ホームステイ先でも良くしてもらっている。(ヘルマン・ミヒヤエラ)
 ウイーンでは介護老人ホームは90%の人が外国人、在宅介護人の多くが近隣外国人スロバキアやポーランドなど出稼ぎ者が多く日本とはずいぶん違うと感じた。老人介護制度、公共の老人ホーム、オーストリアでは誰でも入れる。ただ満員の場合は必要度の大きい人から入居が決まる。介護金は保険からではなく国から支給される。定年は男65才 女性60才となっているか今後段階的に引き上げられることになっている。2030年には1/3の国民が60才以上になるといわれており高齢化社会がやってくる。(藤田俊之)

ウイーン

ハプスブルグ家から今も続く芸術の都

オーストリア

癒しを感じる穏やかな仏教国

ラオス

理解36

援助対象国から投資先国?

南アフリカ

中央アメリカ、メキシコのユカタン半島からグアテマラにかけては、紀元前からマヤの世界であった。
「私たちはトウモロコシの人間だ」というだけあってとうもろこしは日本人にとっての米のようにとても大切である。「大地、大自然は私たちの母である」と考え、自然と調和する精神性を持つ。そこにはアミニズム的に多くの神が存在し、年長者はその経験の豊かさゆえに尊敬されている。
 かつて天文学や数学などに傑出した古代マヤ文明が栄えたこの国には、多くの古代遺跡が点在し、現在もカラフルな伝統的民族衣装に身を包んで生活を続けている先住民も多い。
 まや社会はスペイン軍に征服されて以来、わずかな一時期民主政権になったこともあるが、アメリカの介入などで軍事政権が続き、36年にわたる内戦の後遺症は今も残っている。また6家族が国を支配していると言われるほど貧富の差は大きい。私たち(アシリアと貴)は学校を作り、教育を普及させて、少しづつ地域興しをしたいと考えている。

台湾

町並保存と活用

自転車で、20年 17000km

ヒマラヤ、カラコルム山脈に囲まれたラダック地方はインド、ジャム・カシミール州に属しインド最大の領域を誇る高嶺の地。5〜6000m級の峰々がインダスの源なす雪渓を頂いて連なっている。11世紀より西チベット・グゲ王朝の支配下となりチベット仏教文化圏を形成してきた。小チベットと言われる所以である。      しかしインド最大の軍事基地として中国・パキスタンとの国境紛争のため長く閉ざされてきた。
一木一草すら生えない月世界を思わせる流砂の丘、波打つ地層と巨岩による大自然のパノラマに神秘と威厳すら感じさせられる。年間降雨量100ミリという乾燥地帯である。
ラダックの各寺で行われる祭礼には仮面舞踏が催される。次々に登場する化身と護法尊の舞いには さながら立体的に動く曼荼羅絵巻である。(藤田 佑二)

ラダックのツェチュ祭

インド

南米最大の面積を有し、BRICSの一角。中心を流れるアマゾン川、世界2位の長さ、すべて熱帯雨林とのイメージもあるが、年間の気温は22度から26度とほとんど年間の気温の差がないところである。そこに多くの動植物が存在する。その全貌はまだ明らかになっていない。不治の病の特効薬となるせいぶんやヒントが多く隠されているという。「サロンパス」や「キニーネ」などもここで発見されたという。
動植物だけでなく、ブラジルは鉱物資源が豊か、金やダイヤモンドの開発に世界中から人が集まった。このブームが終わったらコーヒー栽培と切り替わった。場所によってはトウモロコシ、マンジョウカなど栽培しているところがある。現在80年代のインフレを克服し「レアルプラン」改革等により経済も安定し成長を続けている。
また、サッカー大国であり次のワールドカップ開催国である。最近の観光地として雨季だけにみられる世界一広い白い砂漠レンソイスに人気が集まっている。(藤田 佑二)

面積、日本の4/5、人口約6000万人、ご存じ長口のような南北に長い国である。ほとんどの人はキリスト教・カソリックである。地中海と溢れる陽光に満ちた国であるが、イメージよりずっと北仁位置する。ローマの緯度は函館と同じ、ベネチアは稚内より北である。ファッション、グルメ、車、小物、ブランド品、サッカー、海外旅行も人気、遊び好きであって、どちらかというと個性の強い国民である。文化も日本のように画一でなく地方・地方によって全く違っているのが特徴。半島中央にアペニン山脈があるがこの山脈を境に文化は全く違うので面白い。
もちろん仕事優先ではない。と言ったら怠け者に聞こえるかもしれないが、そうでもない。男も女も掃除・料理みんなやるのが常識である。
歴史を紐解くとローマ時代として一世を風靡したこともありそこらじゅうに世界遺産があり数の上でも世界一を誇る。50を誇る。太陽の国イタリアではあるが、南北問題やテロなど問題も抱えている。けいざいの発展は北部中心、万部は取り残されているという問題も抱えている。シチリアを中心に悪名高いマフィアも存在している。また、ナポリタンやマカロニなどイタリア料理も有名で、地方によって味はみんな違うというから面白い。

混声合唱団サリーレの小柳さん、西洋音楽の歴史の始めであるドイツで勉強し、百年以上の歴史がある合唱団とワインづくりで有名な村と親交があったことからサリーレの活動目標を「この村で、合唱を通じて国際交流する事になりました。練習では必ずドイツ語でベートーベンの「第九(喜びの歌)を歌い、民謡やジブリ音楽など様々なジャンルの合唱に取り組んできたが機熟したとしてドイツ国際交流の旅を決行した。訪れたのはドイツのラインスヴァイラー村。ドイツの大統領から文化功労章が贈られた団員が2人もいるという合唱団と合同コンサートが企画されていました。村の1/3の人が集まったと思われる観客の前で「さくら」や「四季の歌」など日本の代表曲を歌った。ドイツにはない音階の日本の歌に、会場からは割れんばかりの拍手。そして村の合唱団との「野ばら」の合唱団には観客も加わり大合唱。最後に、感謝の気持ちも込めて村長さんなどお世話になった人に「稲城の梨ワイン」をプレゼントしました。(小柳才治)

 コペンハーゲンを出航、北上、再度コペンハーゲンに戻る、1週間のクルーズ。総勢3500人が寝起きし、さまざまな言語が交錯する正にミニチュア世界がそこにあった。
 13デッキのビュッフェでコーヒーを飲んでいると、二の腕に刺青をした中年の男性が隣に座った。彼によれば、イタリアではサッカーの選手が入墨意を愛好するし、普通の人も気軽に刺青を入れるという。全国には数百、刺青の店があるというから、もう文化といっていい。
 ここではバイキング形式で食事もとれる。丸顔で、恰好のいい女性とスリムな娘さんらしい二人が、僕の前に席を取った。突然、彼女はボールペンを取り出し紙きれに「HAIKU」と書いた。彼女によれば、昨年EU大統領になったヘルマンという人はオランダ語で、「HAIKU」を作るのが有名で、句集を出すほどの凝りようとか  やはり俳句も、寿司などと同様、今や世界に広がった日本文化の1つらしい。(高野 正夫)

教師の日、花のプレゼント

ウズベキスタン

タイと聞いて何を想像しますか? タイ料理、タイシルク、優雅な古典舞踊、象の国、蘭の花、水上マーケットいろいろ指摘もあろう、いずれも間違いではない。タイは仏教文化の影響もあり穏やかなイメージのあるが、他方政治面では違った顔も見せる。王室への敬意を示す黄色いリボンが至る所にみられるように国王は直接政治に関与できないが尊敬を集めている。
 お互いを呼ぶときはニックネームで呼ぶことが多くフレンドリーな国民である。男性は「サワデイクラップ」女性は「サワデイカ」と挨拶するが、しぐさには3種類ある。同じ年代の人には両手を揃えてあごの下に、偉い人(特にお坊さん)には鼻のところまで両手を揃える。下の人には両手を揃えるだけ、男も女も同じである。お坊さんは尊敬されているが殺生をしない(どんな虫も殺さない)化粧をしない、結婚もしないことになっている。結婚式のときには大勢のお坊さんを呼ぶのが習慣となっている。
 最近は日本のアニメなど外国の文化や商品など人気がある一方、キックボクシングを女性もやるようになっており、これが人気だと世の中変わったものだと思う。お腹が出るのをおさえることになるという。
 タイ語は面白いよ。1:ヌン 2:ソーン 3:サーム 4:スィー 5:ハー 6:ホック 7:ジェット 8:ペッート9:ガーオ 10:スイップというように。イントネーションは中国語の上手を行く5声あり男性と女性で表現が違うなど特徴を持っている。(ニム・ワニパ) 

微笑みの仏教国

タ イ

スリランカ        シギリアレデイの国

 スリランカは海洋国、インドの南にあって北海道よりちょっと小さな島国。仏教国で国民の77%が仏教徒、シンハラ人が82%を占める。(シンハラとはライオンのことで、国旗などにも見られるシンボル)国内ではタミル人との間に一部イザコザもあるが、他はいたって平和、特にいえるのは家族の連帯意識が強いことだ。みんなで助け合って生きている。子供の問題などもまず起こらない。日本との対比で言えることはすごく働き者だということだ。労働環境は厳しいがそれでも満足している。たとえば働くにしても、自宅から勤務先まで10kmとして、家を出るのが朝5時、バスに乗るために1時間30分待ってさらに3時間かかってやっと会社に着く。仕事のあと、残業をしてまたバスで自宅まで、夜9時を過ぎてやっと自宅にたどり着く。それから洗濯、食事、家事をこなし寝るのは深夜になる。そんな合間に勉強も。そんな生活は普通である。ところが、先日新宿から調布まで通っている学生、通勤時間はたったの20分、それで「通勤に疲れる」という声を聞いた。本当にびっくりした。天国だと思うのだが。教育制度は日本と違うが、識字率は高いほうだが、大学に入るということは至難の技で、受験生の1%しか合格できないという。そのためには必死に勉強しなければならない。シンハラ語の他、大学ではほとんど英語で授業が行われるそうで、みんな英語を話すことは出来る。観光地としては仏教国ゆえにお寺(アヌラーダプラ、シーギリヤ、ポロソナルワ、キャンディ)ビーチ、花の谷など、またお祭りや正月行事(4月)なども大変面白いのでぜひ訪れてほしい。 テレビはどこの家にもあるが、パソコンや携帯、洗濯機や車、炊飯器など必ずしも普及はしていない。スリランカには美人が多いとの声も聞くが、皮膚の色は自然色、歯が白く、黒くて長い髪が条件ですが、日本人はどう思いますか?(マノーダ、ニメシャ)
スリランカ

職場や同僚の理解もあり飼育係の職を休職して青年海外協力隊に参加、アフリカのウガンダに2年間赴任してきた。ウガンダ、そこは東アフリカ高原に位置し標高1100m,首都カンパラから360km離れた森林保護
区内にあり持続可能なエコツーリズムを導入し始めていたこともグッドタイミングでした。当初サバンナということを聞かされ、やはりそこは乾燥地帯だろうと想像していましたが、霧が発生するしお茶も取れるし果物も取れる場所があり、またそれらの気候が影響してか住民の穏やかな気質に救われたものです。
 特にチンパンジーの調査や周辺住民の環境教育に軸を移して地域住民の生活向上に勤めてきました。
スタッフの面々や村人も協力してくれ、いろいろ大変なこともあったが充実感あふれる毎日を送ってきました。
現在、ズーラシア動物園でチンパンジーなどと向き合って仕事をしていますが動物園を訪れる人々と生息地周辺に暮らす人々が同じ方向を向いて、地球規模の自然環境や野生動物の保護を目指していける日々を願っています。チンパンジーは頭がよく子供たちが動物園を訪ねるとキャキャと言いながら楽しんでいる姿を見ると野生動物とにんげんが共に歩んでいるんだなあーとつくづく感じる毎日です。(川口 芳矢)

ウガンダ  チンパンジーとともに

イギリス イギリス人のユーモアあるライフスタイル

 イスラム教に基づいた国イラン。日本人にイランのイメージを聞いたところ「砂漠にいるラクダ」と「石油」でした。石油は確かにあるがラクダの姿はほとんどお目にかかりません。イランの面積は日本の4倍。北と西方面で山があり寒い。東と南方面は反対に暑い。北側のカスピ海沿岸は日本のように天気の日が多い。
首都はテヘラン、イランの歴史はとても古い。紀元前3,000年頃原エラム時代に始まる。ペルシャのいろいろな遺跡が今も残っている。イランの絨毯やピスタチオやざくろが有名です。
人口は約7500万人、いろいろな人種(ファルス、トルコ、クルド、アラビア、バルーチー族など)がイランに住んでいて公用語はペルシャ語です。気候や自然だけでなく文化・音楽・料理などバラエテイにとんでいる。(ナジラ モグタリ)
ハワイのビジネスは朝早くから始まる。朝6時からの会社、7時からの会社といったように。そして夕方は3時や4時に仕事が終わる。4時といってももちろん明るい。それから自分のやりたいことをやるのである。ハワイは大きな島8島、その中心はオアフ島のホノルル、通勤時間帯はバスなどいつも渋滞で混んでいる。そんな中でも乗客同士はお互い挨拶を交わしすぐお友達になる。エレベータ内で知らない人と乗り合わせしても無関心ではいられないハワイ。
温暖な気候とフレンドリーな人間関係は観光客を捕らえて離さない。ハワイの行事で印象深いのは5月1日、それはメーデイでもあるが、というより待ちに待ったレイデーだからである。レイデーその日のために国民は踊りの練習をし、花を飾るのである。(レイを作る)誰でもがフラを楽しむ日でもある。
 ハワイと日本の関わりは複雑な構図もある。日系人が多いこと、真珠湾事件、移民の歴史、現在でもハワイの
全観光収入の4割を日本人観光客が消費している現実がある。歴史を知るためにはハワイプランテーションビリッジなど訪問すると参考になる。(新田クリステイン)
「人生は楽しむためにある」とはベネズエラ人には徹底している。とにかく世界で一番明るい国民ではないかと思っている。本当に苦しむことがあるのかと思うほどで、何でもがケセラセラである。3人の子供を育てたが「受験戦争がない」「残業というものがない」{運動会もない」日本とはずいぶん違う。また、お弁当文化もなくお昼は2時間ほど家に帰って食べるのが普通(最近忙しいときには1時間になることも) 会社は5時になると電気を消してしまうので会社からは開放されてしまう。その後、飲みにいくという文化もないので、家族で集まるとか、どこかの家でホームパーテイに参加したりする。
日本人のように忙しいと考える暇もなくなってしまうのではないか?
ベネズエラ人は野球、音楽、踊りなどとても好きな国民である。主人は日本人、私は名古屋でお姑さんに仕えて日本人としての考えをいろいろと教えてもらった。今では、日本のいいところもわかるようになった。
ベネズエラといえば石油の資源国、そのおかげで都会はずいぶん変わってきたが、奥地に行けばまだまだ別世界のようである。それにアメリカの確執もあり複雑な国である。(北脇 ジャネット)

面積は日本の4倍、人口280万人、集中首都ウランバートルに1極集中。周りは草原と砂漠のモンゴル、都市の生活と遊牧民の生活に2分する。都市の生活を見てみると若者のファッション、いろんな国の料理が食べられるレストラン、みんな携帯を持っており、インターネットがあちこちで使えるようになってきた。通勤時は車が渋滞しラッシュが続く。時間がかかるのは先進国並み。産業面ではトロリーバスを組み立ててこれを輸出できるようになった。
一方、遊牧民の生活は春には家畜の出産、夏には草がたくさんあるところへ、秋には冬の準備を、冬には風の当らないところへそれぞれ移動する姿は以前と同じだが、昔のようにラクダ・馬での移動でなく車で、また携帯やテレビも必須品となっている。遊牧民はあまり時間を守らないと言われているが生活は確実に変わっている。遊牧民はどうやって生活をしているかというと春カシミヤを取り、また家畜の乳製品や肉などを都会に持参しお金を得るとともに生活必需品を買って帰るという生活をしている。都市・遊牧民いずれもモンゴルの人は休まず働らく国民、日本人に好感を持っている。(ゲレルマー)

遊牧民の生活と都会の生活があるが、遊牧民は伝統的なパオに住み四子王旗を掲げる。結婚すると隣に住む。都会の生活は別にして昔ながらにラクダ、山羊、羊そして馬を飼っている。 昔は野生の馬を捕まえてきて飼いならし自分の財産としたが、今ではそれは少なくなった。昔と違って放牧の使用権といったものがあり家畜をどこにでも移動させるということは出来ない。放牧地は8時間移動しても誰にも合わないということも珍しくない。郵便局も場所が変わると届かないし、新聞もないといった方がいい。電話も村に1台、ただし、今は携帯が使えるので便利になった。災害としては冬の草の問題がある。なければ羊とジャガイモ5000元で1トラック分買うしかない。
ところで省都フフホトに行くと言葉も踊りもモンゴル遊牧民とはまるで違っている。子供がいれば3か月の学費・生活費5000元、小学生の時代から寄宿舎、寮などに入り学校に通う移動民族ゆえ移動民族ゆえ草原では暮らしていけない。金と学力があれば海外に留学させるケースもよくある。アメリカ希望が一番多いが、日本に対しても違和感はない。ここではモンゴル語というより中国語、モンゴル語を知らない人も多く悲しい。都市で働くには中国語が必須でモンゴル語だけでは生きていけないし民族衣装も着ていない。中国の少数民族の一つモンゴル、外モンゴルと言われるモンゴルはもともと同じ民族だった。ビザが必要であっても交流はある。(薩仁 高娃)

一人っ子政策は1979年にスタート、その背景の一つには1949年の建国時4.8億人の人口が1979年10億人に、30年間に倍増したことがあった。現在13億人と言われているがいるが、戸籍にない人をいれると15億人以上?
実際の政策は人口の93%を占める漢族が対象で、少数民族は対象外。さらに国民のレベルアップを目的とする「晩婚・晩育」「優生・優育」政策を内容とした。
 その結果、今日では男女比率のアンバランス(全国平均男118:女100)(地方と都会でも極端な状況)となっており、未婚者の増大、老齢人口増や労働力不足が懸念される状態になってきている。1980年後生まれた世代はそれまでの時代と全く違った世代で、インターネットによる情報の発信力を身に着け、それまで中国にはなかった「民衆」とか「ボランテイア」といった概念を発生させた。これら新しい世代の感覚がこれからの社会を変えていく大きな原動力になっていくだろう。(趙 方任)

中 国        今どきの中国

 私は平成8年から昨年まで5年間、中国 山東半島の沿岸都市、煙台に駐在し、工場経営にあたりました。気候も温暖、魚介類や果物も豊富で快適な環境の中で単身のホテル住まいでした。
 この数年来、中国の沿海地方の発展は目覚しく、中国製品はとにかく「安かろう、悪かろう」と言われてきたのが、品質も向上し「良いものを安く作る世界の工場」に飛躍するようになりました。こういった変化を工場の現場で身をもって味わった。その付き合いの仕方によっては、この巨大な隣人は日本人にとって大きな脅威にもなるし頼りがいのあるパートナーにもなりうるというのが実感です。 海外での長期にわたる単身ホテル住まいでまず困惑するのが食事です。部屋には厨房設備はなく、「火気使用禁止」が原則ですので炊飯器やトースター、湯沸し器程度を使い、こっそりバスルームで調理するのが関の山、たいしたものは出来ません。お昼は従業員食堂で、主食はご飯か饅頭、おかずは野菜・肉か魚・スープの一汁二菜が定番。これは無償で、食材コストは一人当たり3元(45円)でした
夜は日本人仲間が連れ立って「安くて美味い店」探しとなります。人気だったのは餃子屋、各種魚介類を揃えた火鍋料理、野菜を一緒にたくさん食べられる韓国焼肉とシャブシャブ、牛肉うどん、そしてたまには日本料理屋といったところです。地元の中国人がよく行くお店だったら、大体一人当たりビール込みで30元(450円)ぐらいで満腹になります。でも何年にもなると店も固定化しお店探訪もだんだん飽きて同じ店に行く事になります。やっぱり日本食・オクサンの手づくり料理が恋しくなってくるのはしかたのないことでしょうか? (石田錠ニ)

海と山のきれいな町でした
海辺の海鮮料理屋

私の住んだ町、工場の風景

 中 国       
韓国も日本に劣らず教育に力を入れているし、競争社会である。0歳の胎教教育から始まって嬰児、幼児教育、小・中・高・大学・大学院へとみんな上位に行きたい。今、子供は勉強できなくても英語は話せるという背景もあって、もしお金があればみんな留学したいと考えている。また、インターネット熱もすごい。 韓国ではキリスト教徒の影響も無視できない。というのも、比較的に知識人にキリスト教徒が多いことがあげられるからだ。 ところで、この前のワールドカップ、その前と後では韓国と日本の関係(日本に対する感情など)もガラット変わった。日本人に対しての意見では、歴史を知らない人が多すぎると思う。ともあれ、お互いが相手の国の文化を知り、認め合えばもっともっと近い国になる。いい方向に進みつつあると思う。(田)

アフガニスタンやアメリカとの関係もあって政治的にはなかなか厳しい関係もあるが、世界四大文明の一つインダス文明はここで花開いた。国教はイスラム教、イスラム教徒(ムスリン)が95%を占める。私は北西辺境の地の出であり最近はアフガニスタンとの関係もあるので入国もままならない。
 パキスタンはイスラムの国で、六信五行という信仰の内容とどういった行いをするかが決められています。行いの中には「礼拝」もありますし「喜捨」という貧しい人に施しを行うという考えも定着しています。家族で世話をするためパキスタンにはロウジンホームがありません。一方断食の習慣があります。ラマダン月には三十日間の昼食を断食する事が義務付けられています。ラマダンの日程は実際に月を観測してその国の宗教省が決めることになっています。正月には動物を生贄にして貧しい人に配ります。お坊さんや聖職者はいなくて商人の倫理を重視する社会です。
 イスラム国共通ですが、銀行では利子がつきません。結婚する時は契約書を作ります。人間は弱いからだそうです。一夫一婦制ではなく多妻も可能ですが夫は妻を平等に扱わなければなりません。離婚は少ないです。豚肉やお酒は禁止の国です。(杉山恵理・サファラーズ ハーン)

カンボジアの教育支援

ドイツ    ワインと音楽で国際交流
バングラデシュ

ロシアに次いで世界で二番目に大きな国土を有するカナダ。資源も豊富である。ロッキー山脈、ナイヤガラ瀑布広大な自然はよく知られているが、カナダの歴史は多様でダイナミックな多文化社会、活気あふれる芸術や国際社会で果たしている重要な役割や技術先進国であるというのはあまり知られていない。
若い国家とはいえ、先住民は数千年にわたりアジアから来たというのが通説になっている。
16世紀にフランスやイギリスから定住植民地を求めやってきた。ケベック州はフランス語圏である。第2次世界大戦まではヨーロッパ中心であったが、1945年以降はアジアや中南米からの移住者も増え多文化モザイク色が一層豊かなになった。特に文化で活躍が見られる。日本との貿易も盛んである。(アンウイシャート ヤング) 

イタリヤ    男も女も掃除・料理みんなやる

ブラジル      発展期待される未開の大国

co3

交流12

理解38

セネガルって どんなところ?

ベネズエラ      人生は楽しむためにある      

モンゴルはロシアと中国に囲まれ両国との関係抜きには考えられない。産業としては石炭や鉱物資源、それにカシミヤや肉などの輸出に限られるし、政治も4年ごとに変わってきたので外資もそれほど多く入ってこない状態が続いている。経済成長は続いているが、都市の渋滞、公害など環境問題を引き起こしており改善するほかない。温暖化の影響もある。首都ウランバータル年間平均気温マイナス4度なるも変化が大きくなっており、また地方でも年々気温の寒暖の差、揺れが大きくなっているようで放牧する人にとっては厳しい時代になっている。
モンゴル人の話題と言えば、ナーダムのお祭り、3つのスポーツ(競馬・相撲・弓道)そして5つの動物 (羊・ヤギ・馬・牛・ラクダ)との生活であろう。   

NZライフの魅力

ニュージーランド 

私のアメリカ

理解24

理解25

モンゴル

ロシアと中国に囲まれて

モンゴル

 モンゴルの昨年の冬はひときわ寒く厳しかった。マイナス56度を記録した。いわゆる大陸性気候で一日のうちに四季があるがごとく、昼とよるの気候さも大きい。冬はゲルから一歩も出られない。人より牛や羊が多いのはご存知と思うが、それぞれの家畜、生まれた年によって名前がついており、また家畜の表情にも表現の違う言葉がある。    温暖化や旱魃のためか、牧草の生育も近年変化があって安定しておらず、牧畜を諦め、首都のウランバートルに移り住む人がどんどん増えている。人口250万人の40%近くになっている。学校は11学年、学校を卒業して大学に行く人も多いが、多くの人は就職できない。外国に出て働くなんて夢の夢である。相撲取りも注目されている。25歳が平均結婚年齢であるが、人口の6割以上が30歳未満の若い国で日本とはずいぶん違う。文字も文学も中国というよりロシアとの結びつきのほうが強い。但し、内蒙古の人との交流は今でも結構あるのは事実。風呂には周1回程度入る。それもシャワーだけである。(バヤルバット)          

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発展途上の国

ベトナム

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スリランカ     スリーパーク頂きの足跡

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理解30

母子手帳作成・普及に協力して

パレスチナ

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お返し、引っ越しそばの習慣

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交流10

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中 国

理解11

昨年(2010年)は日本の小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還し快挙となった。ただ最近はインド、中国等も力をつけ目を離せなくなってきており、一方日本と欧米の差は依然埋まらず、日本の宇宙開発は岐路に立っているともいえる。この状況の中、日本では2008年に宇宙基本法が成立し、初めて国としての政策が示された。しかし長引く不況、事業仕分け、東日本大震災等により厳しい状況に置かれているのが実情である。「はやぶさ」人気に留まることなく、日本としてあるべき宇宙開発の姿を考えていく必要がある。
さて、私は社会人となり、現時点に至るまで30年以上にわたり宇宙開発関連業務に携わり、これまでいくつかのプロジェクトに参加した。最近の例として「宇宙環境信頼性実証システム」実証衛星2号機の打ち上げ関連の仕事を紹介する。
昨年4月25日(打ち上げ1か月余り前)に、日本からロシアの打ち上げ射場(モスクワ北方約800kmの軍事基地)に衛星と関連機材を輸送した。同時に日本を出発した衛星チームが射場に到着し、準備作業を開始。まず輸送により衛星に不具合がないか念入りにチェックした。次に燃料を慎重に充填し衛星側準備を完了。その後衛星を移動して、打ち上げ場所で準備作業を行っていたロケットに載せ打ち上げ状態での最終チェックを行った。最後にロシア国家委員会の承認を受けて6月1日夜から打ち上げ作業に入り、カウントダウン、そして6月2日早朝に打ち上げを成功させることが出来た。打ち上げ後は、手早く機材を機材を撤収し日本に返送した。その結果、打ち上げ約1週間後にはチーム全員が日本に到着した。以上のように、衛星の打ち上げ成功と、全員無事の帰国により最終目的を達成することが出来た。(岡 範全 

 
酒は何といっても ウオッカ。ロシアでは、ウオッカを冷蔵庫、時には冷凍庫で冷やして(凍らない)飲む。そして面白いことにビールはほとんど冷やさず室温で飲む。これは、ロシアでは外気温が低くその必要がないからとの説もあるが、夏は当てはまらないし日本人には理解できない習慣である。                                               
 モスクワでは長い冬の間、ほとんど太陽を見ることはない。しかも真冬日(最高気温が氷点下)が続く。氷点下10度以下で長時間外にいるのは命の危険性を伴う。そのため,一日中家の中にいて体を動かさず、飲食だけが楽しみとなる場合も多い。その結果、若いころは細身でも中年以降は男女とも肥満が多くなり、男性はアル中になりがち。なお、ロシア人男性の平均寿命は六〇歳程度しかなく、ロシアでは年金問題はないとも言われ
 モスクワで見る限り、九割以上の車は全く掃除されていない。車の中からはワイパーの動く部分からしか外が見えない程にフロントガラスが汚れていたり、またナンバープレートが泥で見えない車も多い。とくに、春の雪解けの時期は道路の各所に泥水の水たまりがあり、車の汚れが助長される。歩行者も注意が必要。 (岡 範全)



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交流11

理解7


  韓国       韓国の若者と教育事情         

アフガニスタン  アマチュア無線で貢献 

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ブルガリア   歴史・音楽・ヨーグルト  
インドネシアは5つの大きな島の他にもたくさんの島からなっていて、人種も宗教も場所によってずいぶん違う。87%の人がイスラム教、大半がマレー系で人口2億人ちょっと、面積は日本の5倍です。そしてほとんどは大家族で女性優位の社会、最近は女性も自由になりました。日本の核家族とは大いに異なります。
気候が暑いところなので、日本で何が困るかといえば冬の寒さですね。それと、日本人を見て思うことは日が沈んでもなぜ家に帰ってこないのか不思議、何でそれほど仕事をするのか聞きたい。私たちはお腹がすいて食事をするが、日本人はお腹がすいてもすかなくても何か食べている。ラマダンが必要ですね。町の人は結婚が結婚が遅くなる傾向にあるが、田舎に行くと16歳で結婚します。30歳でも結婚をしていない日本人を見ると「なぜ?」と聞きたくなります。日本人を見て感じるのは、他人のようで他人のようでフレンドリーではありません。夫婦の間でも秘密があるみたい。私たちは携帯もサイフも同じという人が多い。日本人の奥さんは我慢図よいかも?  諺に『知らないから親しくならない」という言葉がありますが、本当かも? でも日本人はお金持ちで羨ましい。 国に帰るときは「大福」と「せんべい」を買って帰ります。(藤田 カルティーニ)追伸:講演会にインドネシアから6名の方の出席があり、わかり易いお話で大盛況でした。しかし、その後思ってもみなかったスマトラ沖の大地震で多くの方がなくなったり、被害を受けられたという話を聞くにつけ、謹んでご冥福をお祈りするとともに被害を受けられた方、一刻も早く立ち直ってほしいと思います。